大相撲

■22秋4日目 観客の入りに応えられない2大関

2022年9月14日

九月場所、観客は戻りつつある。初日、2階はコロナ
禍で最も入った。7分くらい入った。久々である。
2日目以降はさすがにそうはいかなかった。だが、
1階はけっこうな入りである。かつてマス席が数列
すべて空いていたことを思えば上出来である。

だが、お客さんの入りにふさわしい土俵になっている
だろうか。4日目御嶽海は翔猿に、正代は玉鷲にそろ
って負けている。正代3敗、御嶽海2敗。なにか負け
方があっさりしすぎている。取りこぼして的敗北では
ない。簡単に堂々と負けるのである。正代の強さは
長続きしなかった。

<御嶽海、翔猿に苦杯>
<正代、玉鷲に完敗>

正代は大関披露パーティをやろうと思っているし、
御嶽海はやり直しカド番場所である。このあと奮起
すればいいのかもしれないが、こうまでだらしなさを
みせつけられると生半可なことでは今後活躍しにく
い。観客の入りに水さす2大関である。

その点貴景勝は琴ノ若相手に気をはいた。張り手まで
繰り出した。動きを止めなかった。止めたら負けに
つながる。とにかく実力以上の力を発揮した。3大関
総崩れとならないよう貴景勝は最大の力を繰り出し
た。

<貴景勝、必死の相撲で琴ノ若を押し出す>

照ノ富士は明生にふところにとびこまれたが、最後は
力でねじふせた。しかし、このような相撲では長続き
しない。照ノ富士はかつて大関朝乃山と対戦したとき
右四つの相撲で何度も取り、勝っている。左上手
浅く、右かいなをかえして完勝している。照ノ富士が
本来取る相撲はこうした内容である。

横綱玉の海の磐石の相撲は右四つの型と腰のよさから
きている。玉の海は負けにくくなった。安定度は抜群
であった。北玉時代(北の富士と玉の海)ではなく
玉玉時代ではないかといわれたほど玉の海は強かった。

照ノ富士のレベルが上がれば、打倒照ノ富士を目指
してレベルが上がる、それは土俵の充実につながる。

<照ノ富士、明生をねじふせる>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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