大相撲

懐かしく思える朝青龍の相撲

豊昇龍が関脇に昇進した。序ノ口から数えて27場所
目、新入幕から13場所目に当たる。けして遅いわけ
ではない。この間技能賞を受賞している。ところが
おじの朝青龍は序ノ口から18所目に、新入幕から7
場所目に関脇に昇進している。その間殊勲賞1回、
敢闘賞2回受賞している、大関は序ノ口から22場所
目、新入幕から11場所目であった。幕内初優勝は
入幕12場所目であった。連続優勝して横綱を決め、
勝ち残りで控えにいた時は感きわまっていた姿が忘れ
られない。

<豊昇龍>

現代は朝青龍のようなスピード出世であがれる力士は
いない。御嶽海は幕下10枚目付出でスタートしたが、
15場所目で関脇。この点は朝青龍と遜色ない。新入幕
から11場所目であった。初優勝は新入幕から17場所目
であった。大関はつい最近なったばかりである。いま
さらながら朝青龍の偉大さを感じずにはいられない。

<優勝朝青龍>

朝青龍は日本の明徳義塾に朝赤龍(現高砂親方)と
ともに留学した。いまでこそ相撲の名門は埼玉栄に
移ったが、当時はほかに琴奨菊、栃煌山などが出身
力士でけっこう名門だった。東龍、志摩ノ海、徳勝龍
も明徳義塾出である。モンゴルと日本との貨幣価値が
違うから朝青龍のご両親の負担は大変なものだったと
いう。そんな下地も朝青龍のスピード出世に役立った
と思われる。

朝青龍はけして体が大きいほうではなかった。スピー
ドと集中力で取るタイプだった。負けん気は大変な
ものであった。白鵬が横綱になるまでは朝青龍の独壇
場であった。朝青龍に対抗できる力士はいなかった。
栃東が優勝をかけた一番で朝青龍に勝ったことがある
くらいだった。忘れられない一番がある。前にでて
くる琴光喜をまわりこんでダイビング下手投げで土表
外になだれ込んだ相撲である。実にスピードと迫力が
あった。今朝青龍の相撲がなぜかなつかしく感じる。

<2008年1月朝青龍対琴光喜>

現代は重量級大相撲全盛で大味な相撲が多い。豊昇龍
は技の相撲である。内掛け、外掛け、上手投げ、下手
投げ、出し投げなどを駆使する。まださらに強くなる
きっかけがつかめていない。おじ朝青龍と比較する
のは酷である。豊昇龍が強くなる素材であることは
間違いない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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