大相撲

令和新十両・再十両事情

五月場所は予想に反して新十両・再十両が
あわせて2人だった。十両から落ちてもおか
しくない力士が4人いたが、幕下力士と逆転
せずという判断によるものと思われる。

<新十両栃丸>

戦後まもなく、昭和20年秋場所から昭和23年
夏場所までは新十両だけで5人から9人誕生
していた。現代では考えられない。令和に
はいってきたる五月場所で18場所となる。
この間どのくらいの新十両・再十両力士が
生まれてきたのか。それが以下である。

最も幕下から十両力士が誕生したのは、令和
2年五月場所の5人である。ただ、すべて
再十両であった。照ノ富士、美ノ海、朝玉勢、
魁、千代鳳であるが、すでに魁、千代鳳は
引退している。令和で最も新十両・再十両が
少なかったのが今度の五月場所の2人である。
なお、美ノ海は令和で3度再十両を経験して
いる。

<美ノ海>

新十両は令和で27人誕生している。1場所
平均1.5人である1年でも9人しかなれない
狭き門である。幕内経験者は琴ノ若、一山本、
琴勝峰、豊昇龍、翠富士、王鵬、荒篤山と
27人中7人とさらに狭き門である。一山本、
王鵬、荒篤山は再十両後幕内に昇進した。

<琴ノ若>

再十両は令和でのべ40人となる。こちらは
新十両27人よりはるかに多い。この中には
阿炎、竜電という出場停止になった力士が
はいっている。序二段から復帰した宇良も
含まれている。若隆景のすぐ上の兄若元春は
2度の再十両を経て幕内3場所目にはいろう
としている。

令和3年十一月場所で異変がおきた。十両
から幕下に落ちる力士が2人。白鵬が引退。
貴源治は七月場所後、大麻使用により解雇と
なった。空き枠は4人でありながら新十両・
再十両あわせて3人だった。そのからくりは
幕内定員42人のところ41人にしたためであっ
た。その影響で翌場所の令和4年一月場所は
十両から幕下落ち3人に対して幕下から4人
十両に昇進した。

<幕内41人の令和3年十一月場所番付>

幕下は120人いる。幕下力士は体も技能もある
程度できてくる。それでいて十両への道は
高い壁である。幕下上位の一番は必死の戦い
になるのは必然である。本場所は迫っている。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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