大相撲

土俵の花

北の富士と玉の海が横綱のとき、次代のホー
プは角界のプリンス貴ノ花と蔵前の星輪島で
あった。貴輪は黄金カードであった時期が
あった。大関以降は地力に差がつき、輪島は
横綱に昇進した。輪島が上に立ち、貴ノ花は
差をつけられた。それでも人気は貴ノ花の
ほうがはるかに上であった。

<貴ノ花>

いくら強くても人気が出るとは限らない、
鏡里、琴櫻はもうひとつ人気がでなかった。
人気が出るには何か別の要素があるのだ。
それは土俵の花である。貴ノ花には花が
あった。

貴ノ花は優勝において輪島、北の湖、魁傑の
後塵を拝した。それだけに初優勝したときは
大変な騒ぎであった。長く待ち望んだ瞬間に
一気にわきあがった。優勝旗は兄二子山(元
初代若乃花)から急遽渡されることになった。

3大花のある力士として、双葉山、初代若乃
花、貴ノ花をあげる方がいる。双葉山は国民
的英雄だった。双葉山見たさに徹夜で並ぶ
ファンがいたほどである。寒さで各家に備え
つけられていた木製のゴミ箱を燃やして暖を
とったという。

 < 双葉山のブロマイド>

初代若乃花は長男を熱いちゃんこ事故で亡く
した。若乃花は数珠をかけて場所入りした。
土俵では鬼神のごとき相撲ぶりであった。
12連勝したが、若乃花をまたも悲劇が襲った。
発熱で休場せざるをえなくなった事態にみま
われた。初代若乃花にはドラマがあった。

<初代若乃花のブロマイド>

後に若貴ブームをおこした若乃花・貴乃花は、
若花田・貴花田のときから大変な人気であっ
た。満員御礼連続666日というとてつもない
記録をつくった。当時はインターネット、
コンビニ発売がなく、お客さんが国技館を
何周もするほどであった。花田家は不思議な
ことに土俵に花のある力士ばかりであった。

<3代目若乃花>
<貴乃花>

双葉の里がある大分県宇佐市に住む友人と
話す機会があった。現代大相撲の物足りない
点は花のある力士がいないという話がでた。
現在一人横綱と弱体大関陣である。新大関
御嶽海は加わってほしくないが。将来若い
横綱が期待できるホープはまだ見えてこな
い。

2月が28日しかないのは不便です。             。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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