一月場所、終盤かかとを痛めたことで優勝を
逃した照ノ富士。結局3連覇はならなかった。
3連覇というのは意外と難しい。栃錦、若乃
花、玉の海でさえ、達成していない。
それでは大正15年優勝制度がスタートして、
最初に3連覇を達成した力士は誰か。それは
横綱常ノ花である。東西合併によって、昭和
とともに年4場所制になった。2場所を西
日本で開催した。そうしたなかで、昭和2年
三月場所から十月場所まで常ノ花が3連覇
した。
次が大関玉錦である。横綱不在の時代であっ
た。第一人者の玉錦が昭和5年十月場所から
昭和6年三月場所まで3連覇した。しかし、
玉錦はこれでも横綱に昇進できなかった。
現代なら考えられない。なお、玉錦は横綱に
なってから再び3連覇を達成している。
玉錦3連覇のあと登場したのが双葉山である。
昭和11年夏場所から関脇1場所、大関2場所、
横綱2場所と5連覇を達成した。双葉山は
69連勝の途上で、当時は年2場所制であった。
双葉山はほかに3連覇もしている。
戦後の混乱期。食料事情は悪く、常設会場を
失った大相撲。日本の古いものはみんなだめ
の風潮で人気がなかった時代、双葉山の弟
弟子の羽黒山が4連覇している。双葉山の
陰に隠れた存在だったが、ようやくクローズ
アップされた。その後、群雄割拠の時代で
3連覇する力士は誰もいなかった。
時代は年6場所制の申し子大鵬の登場を待つ
しかなかった。大鵬は大関で連続優勝すると
横綱になっても優勝を続け、4連覇を達成
している。若くて強い大鵬はこの後6連覇
2度、3連覇を達成している。3連覇のとき
が45連勝のときである。もっとも連勝は誤審
でストップされた。誤審がなければ何連勝
できただろうか。
(この項目続く)
栃煌山引退大相撲の写真をピックアップしてみました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。