大相撲

栃煌山引退大相撲レポート

栃煌山が引退したのは2020年7月15日、七月
場所前であった。あれから1年7カ月半の
時を経て、実現した断髪のとき。栃煌山は
九月場所中から引退大相撲をPRしてきた。
筆者はすぐに引退事務局にチケットを申し
込んだ。だが、予定より遅れて届いたのは
12月になっていた。そ れもオリジナルでは
なく、チケットぴあのデザイン のチケット
であった。

チケットの売れ行きが思わしくないのか、
栃煌山は一月場所中、みずから販売していた。
相撲仲間はひとりマスを購入していた。迎え
た2022年1月30日、当日券が売りだされて
いた。販売員は親方であった。

<入り口で後援者を迎える栃煌山>

開場は10時半。後援者専用ロードで迎える
栃煌山の姿があった。ほかのお客さんとは
完全に隔離されていた。あまりいい光景とは
いえなかった。館内の入りはやはり芳しく
なかった。2階は特に少なかった。

<はさみをいれる栃ノ心>

断髪式となって栃煌山が初めて登場した。
はさみをいれるのは300人であった。その
なかに北の冨士さんがいた。また元週刊プロ
レス編集長のターザン山本氏の姿もあった。
女性のはさみはなかった。力士では力士会
会長の照ノ富士、新大関の御嶽海、部屋代表
栃ノ心などがはさみをいれた。

<挨拶する春日野>

最後に師匠の春日野(元栃乃和歌)が止め
ばさみをいれた。師弟が四方に挨拶をした後、
春日野が挨拶した。師匠の挨拶は引退大相撲
では珍しい。そのあと家族である夫人、幼子、
ベイビーの家族から花束が贈られた。

<整髪姿の栃煌山>

整髪を終えた栃煌山が最後に背広姿で挨拶
した。横綱・大関を育ててみたいと。最後は
帰りゆく後援者をエントランス隔離場所で
お見送りしていた。豪栄道の時よりは早く
終了した点はよかった。

大勢の相撲仲間と出会いました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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