大関は横綱に次ぐ地位に見える。それはあく
まで番付上のことで、実績は天と地ほど違う。
大正15年優勝制度がスタートした。それ以来
今年(2021年)の九月場所の横綱照ノ富士の
優勝まで472場所経過した。この間野外興行
が冬の1月はできず、スライドして前年の秋
に開催したことがあった。また思いがけず、
中止が2場所あった。無観客開催もあった。
472場所の優勝を分類してみよう。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/210718千秋楽表彰-002.jpg)
横綱優勝 291場所
大関優勝 112場所(横綱の大関時代の優勝73)
関脇優勝 30場所 (横綱の関脇時代の優勝18)
小結優勝 9場所 (横綱の小結時代の優勝3)
平幕優勝 29場所 (横綱の平幕時代の優勝3)
別席優勝 1場所
別席とは何か。春秋園事件で大量の力士が
離脱したが、まとまって復帰したことがあっ
た。番付に名前がないので、急遽紙を添えて
名前を書き加えたケースである。昭和8年
春場所男女ノ川が別席優勝している。男女ノ
川は横綱玉錦、大関清水川・武蔵山と対戦
している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/男女ノ川-e1635475252596.jpg)
優勝は横綱が最も多く62%を占めている。
大関は24%である。大関が横綱に次ぐ地位
というのは番付上のことという意味がおわか
りだろうか。横綱照ノ富士と大関正代及び
貴景勝との差はとてつもなくあるということ
である。年間最多勝は、5場所で照ノ富士が
確定している。
大関の優勝112場所のなかには、横綱の大関
時代の優勝が73場所もある。関脇時代は18
場所ある。横綱の大関以下の優勝を含めると
389場所になる。これに対し大関が関脇以下
の優勝を含めても54場所にすぎない。優勝389
場所と54場所、実に7.2倍である。最高位大関
の優勝は厳しさを増している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/10/210926千秋楽表彰-063-e1635475288368.jpg)
正代が大関止まりと決まったわけではない。
しかし、横綱を思わせる相撲内容や実績は
まだない。貴景勝も同様である。次の横綱
候補はあげるにあげられない状態である。
照ノ富士の一人横綱は当分続きそうである。
横綱は特別な存在である。大関とは存在価値
がはるかに違うことが証明された。十一月
場所、やはり大関は優勝候補にあげにくい。
温かい飲物がおいしい季節になりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。