大相撲

すれ違いの優勝争い5

昭和43年から昭和46年五月場所までのすれ
違いの優勝争いをみていこう。なぜ五月場所
までなのか。それはここを境としてある規定
が施行されたからである。それについては
次回ふれていこう。

昭和43年三月場所はどんでもない場所となっ
た。千秋楽を迎え、2敗大関豊山、小結麒麟
児、前頭8枚目若浪であった。千秋楽若浪は
前頭筆頭8勝6敗の海乃山と対戦して勝利。
優勝決定戦を待つことになった。しかし続く
麒麟児、豊山が堅くなって敗退し、若浪の
優勝が決まってしまった。麒麟児、豊山は
ここ一番で緊張する癖が常にあった。

<若浪>

ところが若浪は横綱・大関戦がゼロ。関脇・
小結が各一番あって、13番は平幕であった。
小結麒麟児戦はない。12勝3敗の玉乃島、
豊山、麒麟児は互いに星をつぶしあっている
のに比べ、若浪の対戦相手は軽すぎた。権威
なき優勝はこうしてできた。翌場所若浪は
2勝13敗で、貴闘力と並んで平幕優勝翌場所
のワースト記録をつくった。

これにこりたのか七月場所、13勝2敗で優勝
の琴櫻と横綱・大関の対戦圏外で次点12勝
3敗の陸奥嵐が対戦している。12日目、両
力士は1敗同士で対戦して琴櫻が勝利して
いる。陸奥嵐は翌日大関玉乃島と対戦して
いる。さらに昭和44年三月場所、13勝2敗で
優勝した大関琴櫻と12勝3敗で次点の前頭
9枚目龍虎は12日目、1敗同士で対戦した。
龍虎が勝って一時は単独トップになったこと
もあった。

<陸奥嵐のブロマイド>

また昭和44年十一月場所、大関北の富士が
13勝2敗で優勝した。次点は11勝4敗の関脇
麒麟児と前頭6枚目龍虎であった。北の富士
と麒麟児は当然対戦しているが、北の富士対
龍虎戦も12日目実現していたのである。北の
富士1敗、龍虎2敗で対戦して北の富士が
勝っている。13日目は4敗麒麟児対3敗龍虎
戦が組まれ、麒麟児が勝利している。

<北の冨士>

本割では番付差があって対戦がなかったが、
優勝決定戦で激突したのが昭和44年七月場所
であった。千秋楽を迎え前頭5枚目藤ノ川は
11勝3敗。横綱・大関戦はない。千秋楽は
関脇前乃山に勝って優勝決定戦進出を決めた。
同じく3敗の琴櫻は北の富士の速攻に敗れて
敗退。

結びの一番は3敗同士の横綱大鵬と大関清國
がぶつかった。どちらかが3敗で優勝決定戦
に進出する。このとき大鵬は勝つという気持
ちが希薄だった。勝負を早く終わらせたい
ようにも映った。こうして優勝決定戦は清國
対藤ノ川となった。相撲は清國が圧倒して
初優勝を飾った。清國は新大関の場所だった。

九州のホテルがようやく決まりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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