昭和21年秋場所を開催したが、メモリアル
ホール(旧両国国技館)の入りは芳しくなか
った。協会は人気回復のために報道陣に意見
を求めた。彼らはまず、好取組が増える系統
別総あたりの復活を提案した。協会は出羽海
(元両国=前名国岩)取締役と立浪(元緑嶋)
が反対して紛糾した。だが、藤島(元常ノ花)、
伊勢ヶ濱(清瀬川)、力士会が賛成し、よう
やく承諾にいたった。さらに優勝決定戦制度、三
賞制度が導入されることになった。実施は
以下である。
優勝決定戦 昭和22年夏場所から
系統別総あたり 昭和22年秋場所から
三賞 昭和22年秋場所から
なお昭和21年から32年までの、優勝者と次点
力士の直接対決が皆無の場所は以下である。
番付差による対戦なしが実に多い。幕内は
横綱・大関と対戦する圏内とそうでない中位
以下の2部構成であることが起因している。
優勝栃錦、次点千代の山が2度ある。春日野、
出羽海という分家・本家の同系統で対戦が
なかった。
昭和32年一月場所、横綱千代の山優勝、同
系統栃光、同部屋出羽錦が次点となったが、
3勝差ついていたため逆転はありえなかった。
昭和32年三月場所、優勝朝汐と次点時津山戦
はなかった。だだ、時津山は横綱千代の山・
栃錦だけとは対戦している。いわば部分対戦
はあったのである。
優勝決定戦制度により優勝者と次点力士が
本割での対戦はなくても、優勝決定戦で対戦
するケースが出てきた。
昭和24年夏場所
○大関増位山 13勝2敗 前17羽島山
昭和30年初場所
○横綱千代の山 12勝3敗 前9時津山
昭和31年初場所
○横綱鏡里 14勝1敗 前10鶴ヶ嶺
昭和31年夏場所
○大関若ノ花 12勝3敗 前9大晃
増位山は元滝ノ川の三保ヶ席部屋に入門した
が、師匠の死去後出羽海部屋に身を寄せて
いたため、羽島山とは同部屋であった。時津
風(元双葉山) 部屋の鏡里と井筒(元先代鶴
ヶ嶺)部屋の鶴ヶ嶺は同系統であった。先代
星甲の井筒死去後、部屋の力士が双葉山相撲
道場に預けられた経緯によるものである。
いずれも上位が勝っている。
優勝者と次点力士の直接対決が皆無のケース
でも次点力士同士は対戦している。
昭和24年春場所 琴錦-國登○
昭和27年夏場所 清水川-大岩山○
昭和32年三月場所時津山-琴ヶ濱○
○琴ヶ濱-北ノ洋
昭和28年夏場所、前頭6枚目の時津山が15戦
全勝優勝した。その中身は横綱・大関戦ゼロ。
関脇・小結戦もない。最高位の対戦相手は
前頭筆頭ですべて平幕相手であった。終盤
途中休場後再出場の玉ノ海戦が組まれた。
さらに負けが込んでいる琴錦、琴ヶ濱が14日
目、千秋楽に組まれた。典型的な権威なき
優勝であった。連日上位で戦ってきた大関
吉葉山の14勝1敗が悲劇に襲われる結果に
なった。
同様のことは昭和32年十一月場所でも起こっ
た。前頭14枚目玉乃海が15戦全勝優勝した。
横綱・大関戦はいっさいなし。小結若羽黒戦
が13日目に、関脇時津山戦が14日目に組まれ
た。千秋楽は前頭16枚目7勝7敗の廣瀬川
だった。権威なき優勝はまたも繰り返された。
しかもこれで終わりになったわけではなかっ
た。
大相撲は不合理性をかかえたまま年6場所制
へ突入していった。
ブルーレイは4台あり、2台は大相撲専用です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。