横綱は常に優勝を争うべき立場である。それ
では横綱の責任勝ち星は何勝か。最低12勝で
あろう。大関で何場所11勝を続けても横綱
にはなれない。また、北の富士は横綱で4場
所連続11勝したらイレブン横綱と揶揄された。
15日制が定着したのは昭和24年夏場所からで
ある。それ以降誕生した横綱が対象となる。
横綱の代でいうと千代の山以降となる。
まず、横綱の連続12勝以上からみていこう。
栃錦が7場所連続横綱12勝以上、若乃花が
6場所横綱連続12勝以上を記録した。この
数字を2ケタに更新した横綱が大鵬である。
11場所連続を成し遂げた。大鵬は横綱5場所
目から始まった。これを破った横綱が北の湖
だった。12場所連続横綱12勝以上である。
北の湖の場合横綱14場所目から始まった。
千代の富士は意外とこの記録には縁がなく、
5場所連続横綱12勝以上が最高記録である。
貴乃花は11場所連続横綱12勝以上と迫ったが、
及ばなかった。
北の湖の記録を大幅に破った横綱が白鵬で
あった。22場所連続横綱12勝以上という途方
もない記録をつくった。横綱7場所目からで、
白鵬23歳から27歳にかけての記録であった。
この記録は10勝5敗でストップしたが、翌
場所から17場所連続横綱12勝以上を記録した
のだから痛恨の10勝5敗であった。その場所
優勝した力士が旭天鵬だった。
それでは横綱12勝以上率はどうか。横綱12勝
以上率=横綱12勝以上の場所数÷横綱在位
場所数×100である。栃錦が50%、若乃花が
52%である。大鵬は一気に6割超えの65.5%
に引き上げた。横綱在位58場所、12勝以上
38場所であった。
玉の海は横綱12勝以上率90%である。非常に
安定した腰で取る相撲だった。横綱在位は
わずか10場所であった。全盛期途上、現役で
亡くなられたこともあり、参考記録として
記しておく。
北の湖は59%で及ばなかった。千代の富士は
64.4%まで迫った。横綱在位59場所、12勝
以上38場所と大鵬より横綱在位が1場所多か
ったことが数字をわずかに下げた。貴乃花は
長期休場が影響して53%に留まっている。
朝青龍は64.2%までいった。
晩年休場が多かった白鵬はどうだろうか。
横綱在位84場所、横綱12勝以上が56場所で
横綱12勝以上率は66.7%で大鵬を超えてトッ
プに立った。3分の2が12勝以上という脅威
の結果となった。千代の山以降6割超えは
参考記録玉の海を含め、わずか5人しかいな
い。ここでも白鵬は超人であった。
山手線は連日工事の日です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。