大相撲

殊勲賞の中身Ⅱ 3【昭和37年~38年】

昭和37年~38年にかけて大鵬は第一次6連覇
を達成している。柏戸は休場が多い時期で、
大鵬時代がゆるぎないものになった。

昭和37年三月場所、若羽黒は優勝同点力士
大鵬に勝ちながら殊勲賞の受賞とはいかなか
った。元大関にこだわったのだろうか。殊勲
賞を受賞したのは11勝4敗の柏戸を倒した
栃光であった。

五月場所は大関佐田の山13勝2敗、関脇栃ノ
海14勝1敗で優勝、関脇栃光13勝2敗と出羽
一門が大活躍した場所だった。大鵬は終盤
彼らに3連敗し、11勝4敗で終わっている。
殊勲賞は大鵬・柏戸を倒した栃光が3回目の
受賞となった。

<栃光のブロマイド>

昭和37年七月場所優勝した大鵬に唯一の黒星
をつけた出羽錦が殊勲賞となった。翌九月
場所、学生出身豊山の飛躍の場所であった。
千秋楽を迎え、2敗は横綱大鵬、大関佐田の
山、前頭2枚目豊山であった。豊山は千秋楽
惜しくも栃ノ海に敗れたが、13勝2敗の大関
佐田の山に勝って殊勲賞を受賞した。

豊山の勢いは止まらず、翌十一月場所、横綱
柏戸に勝って殊勲賞を獲得した。昭和38年
一月場所、豊山はさらに横綱大鵬に勝つ大殊
勲をあげた。千秋楽をむかえ、大鵬と豊山は
1敗で並んだ。だが、またも千秋楽豊山は
栃ノ海に負けて優勝を逃している。だが、
3場所連続殊勲賞を成し遂げた。

<豊山>

このあとの5場所は横綱を倒しての殊勲賞は
姿を消すことになった。横綱柏戸は一月場所
から4場所連続休場。大鵬に勝つ関脇以下の
力士は負け越すケースが目立った。五月場所・
九月場所の岩風は殊勲賞の中身はやや弱かっ
た。七月場所の富士錦はさらに弱かった。
まだ大豪のほうがふさわしかった。十一月
場所の琴櫻はこの年最も中身のない殊勲賞に
なった。横綱大鵬を倒した羽黒花のほうが
殊勲賞にふさわしかった。

<岩風のブロマイド>

昭和38年の殊勲賞は現代なら該当者なしに
なってもおかしくないケースがあった。

昼食はお茶漬けでした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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