大相撲

白鵬10大記録7 連続横綱フル出場

横綱は休場しても地位が落ちないというまこ
とに不思議な地位である。特に負けが込むと
休場する傾向がある。また連続不成績後の
休場も珍しくない。つまり横綱に休場はつき
物である。そこで連続横綱フル出場の記録を
調べてみた。この種の記録はやはり年6場所
制以降が有利である。

<白鵬>

ちなみに栃錦は10場所連続横綱フル出場、
初代若乃花は11場所連続横綱フル出場の記録
をもっている。6場所制の申し子大鵬は新
横綱の場所から15場所連続横綱出場で記録を
更新した。その後輪島がタイ記録を達成した。
これを一挙に更新したのが北の湖であった。
新横綱の場所から43場所連続横綱フル出場
という途方もない記録をつくった。

<北の湖>

この後登場する2代目若乃花が16場所連続
横綱フル出場しただけで、千代の富士も貴乃
花もこの記録には無縁であった。朝青龍が
16場所連続横綱フル出場した程度であった。
北の湖の記録を破った横綱が白鵬であった。
なんと48場所連続横綱フル出場を達成した。
実に8年にわたって横綱フル出場を続けた
わけである。白鵬の優勝回数が多いのは、
こんなところにも大きな要因がある。

それでは「横綱フル出場率=横綱フル出場場
所数÷横綱在位場所数×100」はどうか。
横綱が実質地位化した常陸山以降を検証して
みた。明治・大正期では大錦が82%を記録
した。これを超えた横綱が栃木山である。
実に93%と唯一の90%台である。なにしろ
栃木山は横綱休場がわずか1場所しかない。
昭和戦前では男女ノ川が83%である。ちなみ
に双葉山は76%である。

<栃木山のブロマイド>

戦後横綱フル出場率は鏡里が86%、栃錦が
82%である。年6場所制になって玉の海が
100%を記録した。玉の海の場合は現役死亡
と横綱在位10場所であることによって成り
立っている、といえる。ちなみに大鵬は76%
である。ほかに横綱フル出場率80%を超えた
のが、輪島80.85%、北の湖80.95%、朝青龍
83%、日馬富士80.65%である。

<晩年の白鵬>

白鵬は晩年の休場の多さがマイナスに働き、
横綱フル出場率は77%である。横綱在位84場
所中横綱フル出場は65場所である。最後の
4年間は22場所中7場所しかフル出場して
いなかった。常陸山以降の横綱では千代の
富士の78%についで第12位である。これも
白鵬の運命としかいいようがない。

専門誌相撲増刊の白鵬引退記念号に目を通しています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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