大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し3

■沖ツ海
・優勝した前場所負け越し4例目
昭和7年3月場所、沖ツ海は9勝1敗で優勝
した。最初で最後の優勝だった。前場所2勝
6敗で負け越している。当時は東京場所と
地方場所の2場所の合計成績で番付編成を
していたので、沖ツ海は小結のままで場所に
臨み、優勝した。春秋園事件による力士大量
離脱のため、取組は系統別総あたりに変わっ
ていた。大関玉錦が2敗のまま最後までつい
ていった。玉錦対沖ツ海戦は3日目に実現し、
沖ツ海が勝っている。

<沖ツ海のブロマイド>

■清水川
・優勝した翌場所負け越し7・10例目
清水川は3回優勝している。大関で2回優勝
しているが、いずれも翌場所は5勝6敗で
負け越している。2回目の優勝は9勝2敗
だが、同成績に沖ツ海・高登・瓊ノ浦がいた。
番付上位の清水川の優勝となった。3回目は
11戦全勝だった。清水川は放蕩などで本場所を
さぼった結果、協会を追放された。しかし、
父親が命をたって協会復帰を嘆願するという
思いもかけぬ手法にでた。昭和唯一の名大関、
昭和最強の大関といわれるたようになった
のは亡き父のおかげである。

<清水川のブロマイド>

■玉錦
・優勝した翌場所負け越し8例目
玉錦は9回優勝しているが、そのうち6回目
の優勝(横綱初優勝)の翌場所全休をして
いる。昭和8年夏場所のことである。玉錦は
なかなか横綱なれなかった。横綱不在は昭和
6年3月場所から始まり、昭和7年10月場所
まで続いた。玉錦の横綱直前の成績は7勝
4敗だった。春秋園事件で脱退せずに協会に
残った功績によるところが大きかった。

<玉錦のブロマイド>

■男女ノ川
・優勝した翌場所負け越し9例目
男女ノ川は春秋園事件で脱退したが、復帰
した場所で初優勝した。2回目の優勝は昭和
9年春場所、9勝2敗で優勝した。関脇の
ときであった。昭和8年から年2場所になっ
た。当時玉錦、武蔵山、清水川、沖ツ海、
高登、男女ノ川が6強豪といわれていた。
その翌場所、つまり新大関のとき男女ノ川は
5勝6敗で負け越した。2回目の優勝が最後
の優勝となった。

<男女ノ川のブロマイド>

■双葉山
・優勝した翌場所負け越し11例目
・優勝した前場所負け越し5例目
双葉山の台頭は覇者交代を意味した。双葉山
が連勝しだすと、玉錦は双葉山に勝てなく
なった。優勝もなくなった。双葉山は5場所
連続全勝優勝を達成した。そんな双葉山にも
優勝した翌場所負け越しがある。昭和15年
春場所7回目の優勝の翌場所7勝5敗3休で
休場している。この休場に双葉山が苦悩した。
「信念の歯車が狂った」といって、滝にうた
れて再起をはかった。その翌場所昭和16年
春場所14勝1敗で8回目の優勝を成し遂げて
いる。

<双葉山のブロマイド>

(この項目続く)

足をくじきました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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