一月場所、徳勝龍は思いがけない優勝を達成
した。正直徳勝龍に注目していた相撲ファン
は、それほど多くいなかったのではないだ
ろうか。だから、徳勝龍はどんな力士か把握
できていなかったのでは、と想像する。その
ため優勝インタビューで初めて知った面が
多かったように思う。謙虚さあり、ユーモア
あり、故伊東監督恩師への強い思いなど様々
な人間模様をみせてくれた。今改めて徳勝龍
にスポットをあててみよう。
徳勝龍は小学校時代から相撲を取っている
相撲少年であった。近畿大学が強調されて
いるが、それ以前に高校は相撲の名門明徳
義塾に入学している。この高校はかつて朝青
龍、朝赤龍が留学している。現役で琴奨菊、
栃煌山、志摩ノ海、東龍、千代勝馬、大翔丸
もこの高校の相撲部出身である。
近畿大学に進学したことによって、伊東監督
と出会う。そこには宝富士もいた。しかし、
大学で大きな実績は残せないまま、4年の
とき木瀬(元肥後ノ海)部屋に入門した。
前相撲からのスタートであった。
だが、そこから2場所負け越して足踏みした。
このとき、すなわち2010年5月に事件がおこ
った。過去、暴力団が維持員席で観戦して
いたというのだ。その整理券に関与したのが
木瀬親方ということになり、木瀬部屋は閉鎖
当時青木の四股名だった徳勝龍ら木瀬部屋の
力士は突如部屋を失うことになった。彼らは
北の湖部屋に移籍することになった。北の湖
部屋で再スタートした七月場所は5勝2敗、
翌場所も同じ成績を残した。ところが十一月
場所ではなんと1勝6敗と大敗した。大い
なる後退であった。2011年1月から徳勝龍
に改めた。そこから4場所かかって十両入り
を決めた。結局序ノから15場所かかかって
いた。ちなみに白鵬16場所、宝富士は9場所
かかっている。
に改めた。そこから4場所かかって十両入り
を決めた。結局序ノから15場所かかかって
いた。ちなみに白鵬16場所、宝富士は9場所
かかっている。
(この項目続く)、
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