大相撲

徳勝龍の土俵人生1

2020年2月5日

一月場所、徳勝龍は思いがけない優勝を達成
した。正直徳勝龍に注目していた相撲ファン
は、それほど多くいなかったのではないだ
ろうか。だから、徳勝龍はどんな力士か把握
できていなかったのでは、と想像する。その
ため優勝インタビューで初めて知った面が
多かったように思う。謙虚さあり、ユーモア
あり、故伊東監督恩師への強い思いなど様々
な人間模様をみせてくれた。今改めて徳勝龍
にスポットをあててみよう。
200126千秋楽表彰 183
<徳勝龍の優勝インタビュー>

徳勝龍は小学校時代から相撲を取っている
相撲少年であった。近畿大学が強調されて
いるが、それ以前に高校は相撲の名門明徳
義塾に入学している。この高校はかつて朝青
龍、朝赤龍が留学している。現役で琴奨菊、
栃煌山、志摩ノ海、東龍、千代勝馬、大翔丸
もこの高校の相撲部出身である。

近畿大学に進学したことによって、伊東監督
と出会う。そこには宝富士もいた。しかし、
大学で大きな実績は残せないまま、4年の
とき木瀬(元肥後ノ海)部屋に入門した。
前相撲からのスタートであった。
徳勝龍1A
序ノから幕下2場所目までは大勝ちであった。
だが、そこから2場所負け越して足踏みした。
このとき、すなわち2010年5月に事件がおこ
った。過去、暴力団が維持員席で観戦して
いたというのだ。その整理券に関与したのが
木瀬親方ということになり、木瀬部屋は閉鎖
になった。
090927千秋楽十両 618
<2009年9月 三段目で優勝>

当時青木の四股名だった徳勝龍ら木瀬部屋の
力士は突如部屋を失うことになった。彼らは
北の湖部屋に移籍することになった。北の湖
部屋で再スタートした七月場所は5勝2敗、
翌場所も同じ成績を残した。ところが十一月
場所ではなんと1勝6敗と大敗した。大い
なる後退であった。2011年1月から徳勝龍
に改めた。そこから4場所かかって十両入り
を決めた。結局序ノから15場所かかかって
いた。ちなみに白鵬16場所、宝富士は9場所
かかっている。
110911初日十両 040
<幕下時代の徳勝龍>

(この項目続く)、

このところ予定が多いです。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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