大相撲

優勝請負人の優勝ペース

2019年12月11日

白鵬が十一月場所で43回目の優勝を達成した。
これまで40回超えはいなく、白鵬ただ一人で
ある。大鵬に実に11回の差をつけた。もっと
も晩年の白鵬の相撲は肘打ち式かちあげで、
必ずしも歓迎されていない。といっても、
審判部が問題視している気配はない。わずか
に横審が物言いをつけたが、協会が一蹴して
いるだけに効力は疑わしい。この辺がファン
をやきもきさせている。
07九州八日目幕内 099白鵬土俵入り
<白鵬>

これまで優勝請負人といわれる横綱は大鵬、
北の湖、千代の富士、朝青龍である。これに
白鵬を加えた5横綱がビッグ5である。そこ
で優勝請負人5横綱の優勝スピードはどれ
くらいなのか。ほかと比較することで改めて
白鵬の優勝スピードを浮き彫りにできる。
初優勝した年から毎年の優勝回数をだして
みた。( )は通算優勝回数である。
優勝ペースA
大鵬W1
<大鵬>

初優勝から4年目の優勝こそ朝青龍がリード

したが、ここまでであった。ただ、朝青龍の
スピードと集中力は日馬富士以上であった。
見る者を魅了した。7年目となると通算優勝
回数は、ほぼ横並びとなった。やや北の湖が
後退していった。

優勝30回以上となると、大鵬、千代の富士、
白鵬の領域である。10年目、大鵬は30回目の
優勝に到達した。そのとき千代の富士は31回
目の優勝を成し遂げていた。ただし、これが
最後の優勝になった。白鵬は30回目の優勝を
すでに9年目に達成していた。10年目は驚異
的にも35回の優勝を遂げていた。
千代の富士
<千代の富士>

13年目以降は大鵬、千代の富士には未知の
領域である。大鵬・千代の富士の数字はけし
て見劣りするものではない。大横綱にふさわ
しい値である。白鵬は2人の先輩横綱を超え
ている。その要因はなんといっても白鵬の
休場の少なさにある。今の白鵬は、年3場所
制?になっているが、全体的には、きわめて
休場の少ない横綱である。

白鵬の優勝回数43は空前絶後、70年は破る者
が現われないのではないだろうか。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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