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優勝回数物語2横綱最終優勝年齢番付付き

戦後、昭和22年夏場所から優勝決定戦制度が
開始された。また、昭和24年から年3場所制
になった。戦後の混乱期で一定の会場をもた
なかったが、昭和25年から蔵前仮設国技館で
興行するようになった。年3場所制は昭和
27年まで続き、昭和28年から年4場所制に
なった。昭和29年秋場所から完成した蔵前
国技館が常設会場となった。
昭和32年からは福岡開催が加わり、年5場所
制になった。と思ったら、翌年名古屋で開催
され、年6場所となり、現在に続いている。
年6場所は力士を消耗させるという見方が
すでに出ていた。場所が増えたから優勝回数
が増えたかというと、そうはいかなかった。
拮抗するライバル栃錦、初代若乃花が10回
優勝を成し遂げた。最高優勝回数は依然双葉
山の12回であった。
大鵬
<優勝32回大鵬>

昭和35年若くて将来を期待させる逸材が登場
した。大鵬である。入幕した年に優勝した。
横綱には21歳のときに昇進した。たちまち
優勝を重ねる大鵬に、双葉山の12回優勝を
超えるのは時間の問題だった。王者大鵬は
年6場所の申し子の如く優勝を重ね、30回に
到達したとき、一代年寄りを贈られた。
大鵬の優勝32回は不滅と思われた。大鵬より
少しだけ若くして横綱に昇進した力士に怪童
北の湖いる。北の湖の若さと将来性は大きな
期待を抱かせた。だが、優勝は24回と大鵬の
32回に肉薄すらできなかった。
千代
<優勝31回千代の富士>

大鵬の優勝32回に迫ったのは、意外な力士で
あった。ウルフ千代の富士であった。横綱
昇進は26歳であった。誰も優勝回数を積み
重ねていくとは予想できなかった。だが千代
の富士は、力士生命が長かった。30歳を超え
ても強さを発揮していった。ついに優勝は
31回までいった。並ぶか、超えるか。と思わ
れたが、36歳直前で力つきて引退した。
モンゴルからやってきたお騒がせ横綱朝青龍
は、周りに敵がいなく、優勝街道を突っ走った。
29歳で優勝は25回までいった。あるいは大鵬
に迫り、超える可能性を秘めていたが、自ら
の行動が原因で引退せざるを得なかった。
070211福祉 245
<優勝25回朝青龍>

朝青龍より遅れてモンゴルからやってきた
力士が白鵬である。白鵬は、敵なしであった。
特に朝青龍の事実上の強制引退後は、一人
天下であった。大鵬の優勝回数越えは、時間
の問題であった。いまや優勝回数は、大鵬を
大幅に上回り、43回にまでのばした。さらに、
50回を目指すという。50回となるとあと7回。
年2回優勝しても3年半かかることになる。
そのとき白鵬は、38歳になっている。
170723千秋楽パレード 090
<優勝43回白鵬>

優勝制度ができた大正15年以降、横綱最後の
優勝は何歳のときか。それを番付にしたのが、
下記である。当然、横綱優勝がない横綱の名
は、ここにはない。
横綱最終優勝年齢A
最高齢横綱優勝は、羽黒山の37歳である。
白鵬は今後年齢との戦いになる。50回優勝は
けして平坦な道ではない。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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