白鵬が十一月場所で43回目の優勝を成し遂げ
た。大鵬の優勝回数を上回ること実に11回。
まさしく前人未到の域に入り、絶後の数字に
ならんとしている。これまで最多優勝回数は
どのような歴史的流れで進んできたのだろう
か。改めてふり返ってみた。
か。改めてふり返ってみた。
協会制定の優勝制度は大正15年から始まった。
よく明治42年夏場所の国技館開設以降と思っ
ている方がいるが、これは時事新報社が幕内
最高成績者の写真額を国技館に掲げる制度で
あった。一新聞社の表彰であった。そのため、
不戦勝や取り直し制度がなかった。特に対戦
相手が休場すると自分も「や」扱いとなった。
優勝制度のための整備は何一つされていな
かった。観衆も特に関心をもっていなかった。
参考までに、横綱が実質地位化した常陸山
以降での最高成績は次のようになった。
常陸山 7回
太刀山 11回
栃木山 9回
栃木山は、横綱は追い詰められて辞めるよう
ではいけない。桜の花が散るごとく去って
いくことを旨としただけに、余力のあるうち
に引退した。限界まで取っていたらどれくら
い優勝(最高成績)したのだろうか。と、
のちにささやかれた。
戦前は、昭和2年から7年の一時期及び昭和
19年をのぞいて年2場所であった。そんな中、
最多優勝を飾ったのは、最高成績2回、優勝
8回の常ノ花であった。正式には優勝8回で
ある。常ノ花が引退し、そのあと昭和6年
春場所で宮城山が引退すると横綱不在の時代
となった。
そのなかで第一人者になっていった力士が、
玉錦である。昭和8年春場所に横綱になると
優勝回数を9回まで伸ばした。だが、めき
めき実力をつけてきた双葉山が優勝し始める
と、玉錦の優勝はもうなかった。無敵双葉山
は12回まで優勝をのばし、これが、長い間
最高優勝回数となった。そのうち、全勝は
8回であった。
(この項目続く)
大相撲がないときは笑点を見ています。
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よしなに
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