大相撲

優勝回数物語1

2019年12月8日

白鵬が十一月場所で43回目の優勝を成し遂げ
た。大鵬の優勝回数を上回ること実に11回。
まさしく前人未到の域に入り、絶後の数字に
ならんとしている。これまで最多優勝回数は
どのような歴史的流れで進んできたのだろう
か。改めてふり返ってみた。
191124千秋楽表彰 105
<白鵬、43回目の優勝>

協会制定の優勝制度は大正15年から始まった。
よく明治42年夏場所の国技館開設以降と思っ
ている方がいるが、これは時事新報社が幕内
最高成績者の写真額を国技館に掲げる制度で
あった。一新聞社の表彰であった。そのため、
不戦勝や取り直し制度がなかった。特に対戦
相手が休場すると自分も「や」扱いとなった。
優勝制度のための整備は何一つされていな
かった。観衆も特に関心をもっていなかった。

参考までに、横綱が実質地位化した常陸山
以降での最高成績は次のようになった。
常陸山 7回
太刀山 11回
栃木山 9回

栃木山は、横綱は追い詰められて辞めるよう
ではいけない。桜の花が散るごとく去って
いくことを旨としただけに、余力のあるうち
に引退した。限界まで取っていたらどれくら
い優勝(最高成績)したのだろうか。と、
のちにささやかれた。
栃木山
<栃木山のブロマイド>

戦前は、昭和2年から7年の一時期及び昭和
19年をのぞいて年2場所であった。そんな中、
最多優勝を飾ったのは、最高成績2回、優勝
8回の常ノ花であった。正式には優勝8回で
ある。常ノ花が引退し、そのあと昭和6年
春場所で宮城山が引退すると横綱不在の時代
となった。

そのなかで第一人者になっていった力士が、
玉錦である。昭和8年春場所に横綱になると
優勝回数を9回まで伸ばした。だが、めき
めき実力をつけてきた双葉山が優勝し始める
と、玉錦の優勝はもうなかった。無敵双葉山
は12回まで優勝をのばし、これが、長い間
最高優勝回数となった。そのうち、全勝は
8回であった。
双葉山_
<双葉山のブロマイド>

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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