大正15年から始まった優勝制度は99人の優勝
力士を誕生させた。47人が初優勝で終わって
いるとこれまで書いて来た。そのなかには
栃ノ心、御嶽海、貴景勝、玉鷲、朝乃山も
含まれている。逆にいうと52人は2回以上の
優勝を達成してきたわけである。初優勝から
何場所後に2回目の優勝をなしえたのか調べ
てみた。
てみた。
当然ながら初優勝から最短の2回目の優勝は
連続優勝である。初優勝の翌場所2回目の
優勝を達成した力士は5人いる。全部あげ
られたらあなたは相撲通である。
双葉山
千代ノ山
照國
朝青龍
稀勢の里
双葉山は関脇から大関で、ともに全勝優勝を
達成している。双葉山は69連勝の途中であっ
た。千代ノ山と朝青龍は大関で達成している。
連続14勝1敗の朝青龍は横綱に昇進している。
一方、千代ノ山は13勝2敗、12勝3敗の優勝
かつ新大関、2場所目ということもあり横綱
は見送られた。照國は横綱に昇進しても、
優勝経験がなかった。初優勝はなんと横綱
18場所目であった。翌場所全勝優勝したが、
優勝は2回で終わった。
<朝青龍>
稀勢の里は白鵬の壁にはばまれ、なかなか
優勝できなかった。稀勢の里の初優勝は大関
31場所目であった。この優勝で横綱に昇進
した。新横綱の場所はケガをしながら、大関
照ノ冨士相手に本割、優勝決定戦を制して、
逆転優勝したのは今も語り草になっている。
優勝は2回で終わっている。
2回目の優勝が15場所後以上の力士をみて
いこう。大鵬が入幕6場所目に関脇で初優勝
すると、ライバル柏戸はその翌場所大関で
優勝した。その後両力士は横綱に同日昇進
するも、大鵬が大関で連続優勝したのに対し、
柏戸は直近3場所優勝がなかった。大鵬が
6連覇を含む11回優勝を成し遂げていたが、
柏戸は優勝が遠かった。それどころか4場所
連続休場に陥っていた。復帰をかけた昭和
38年九月場所で大鵬以下5大関を撃破して
全勝優勝を飾った。涙の全勝優勝であった。
初優勝から実に16場所後のことであった。
するも、大鵬が大関で連続優勝したのに対し、
柏戸は直近3場所優勝がなかった。大鵬が
6連覇を含む11回優勝を成し遂げていたが、
柏戸は優勝が遠かった。それどころか4場所
連続休場に陥っていた。復帰をかけた昭和
38年九月場所で大鵬以下5大関を撃破して
全勝優勝を飾った。涙の全勝優勝であった。
初優勝から実に16場所後のことであった。
北の富士は千代の山を慕って出羽海部屋に
入門した。佐田の山が出羽海(元出羽ノ花)
の娘と結婚することになり、九重(元千代の
山)に出羽海後継の目がなくなり、独立する
ことを決心した。当時出羽海には分家を許さ
ず、という不文律があった。その結果九重は
破門独立となり、九重と行動をともにした
のが、大関北の富士であった。
その直後の昭和42年三月場所、北の富士は
燃えた。当時は大鵬が6連覇中であり、無敵
であった。北の富士は勝ち進み、大鵬をおさ
えて初優勝を成し遂げた。感動的な優勝で
あった。九重(元千代の山)が涙で北の富士
と握手した光景は未だに忘れられない。
この後の北の富士は低迷した。九重は「あの
頃の北の富士はよく遊んだ」と語っていた。
北の富士が再び燃えたのは、清國の新大関
優勝だった。「清國一人に甘い汁をすわせ
ない」北の富士は昭和44年十一月場所で2回
目の優勝を達成した。初優勝から16場所後の
ことであった。
(この項目続く)
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