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【7月21日】初優勝から2回目の優勝への間隔1

大正15年から始まった優勝制度は99人の優勝
力士を誕生させた。47人が初優勝で終わって
いるとこれまで書いて来た。そのなかには
栃ノ心、御嶽海、貴景勝、玉鷲、朝乃山も
含まれている。逆にいうと52人は2回以上の
優勝を達成してきたわけである。初優勝から
何場所後に2回目の優勝をなしえたのか調べ
てみた。
当然ながら初優勝から最短の2回目の優勝は
連続優勝である。初優勝の翌場所2回目の
優勝を達成した力士は5人いる。全部あげ
られたらあなたは相撲通である。
双葉山
千代ノ山
照國
朝青龍
稀勢の里
双葉
<双葉山のブロマイド>

双葉山は関脇から大関で、ともに全勝優勝を
達成している。双葉山は69連勝の途中であっ
た。千代ノ山と朝青龍は大関で達成している。
連続14勝1敗の朝青龍は横綱に昇進している。
一方、千代ノ山は13勝2敗、12勝3敗の優勝
かつ新大関、2場所目ということもあり横綱
は見送られた。照國は横綱に昇進しても、
優勝経験がなかった。初優勝はなんと横綱
18場所目であった。翌場所全勝優勝したが、
優勝は2回で終わった。
100124千秋楽表彰 613朝青龍
<朝青龍>

稀勢の里は白鵬の壁にはばまれ、なかなか
優勝できなかった。稀勢の里の初優勝は大関
31場所目であった。この優勝で横綱に昇進
した。新横綱の場所はケガをしながら、大関
照ノ冨士相手に本割、優勝決定戦を制して、
逆転優勝したのは今も語り草になっている。
優勝は2回で終わっている。
2回目の優勝が15場所後以上の力士をみて
いこう。大鵬が入幕6場所目に関脇で初優勝
すると、ライバル柏戸はその翌場所大関で
優勝した。その後両力士は横綱に同日昇進
するも、大鵬が大関で連続優勝したのに対し、
柏戸は直近3場所優勝がなかった。大鵬が
6連覇を含む11回優勝を成し遂げていたが、
柏戸は優勝が遠かった。それどころか4場所
連続休場に陥っていた。復帰をかけた昭和
38年九月場所で大鵬以下5大関を撃破して
全勝優勝を飾った。涙の全勝優勝であった。
初優勝から実に16場所後のことであった。
柏
<柏戸>
北の富士は千代の山を慕って出羽海部屋に
入門した。佐田の山が出羽海(元出羽ノ花)
の娘と結婚することになり、九重(元千代の
山)に出羽海後継の目がなくなり、独立する
ことを決心した。当時出羽海には分家を許さ
ず、という不文律があった。その結果九重は
破門独立となり、九重と行動をともにした
のが、大関北の富士であった。
その直後の昭和42年三月場所、北の富士は
燃えた。当時は大鵬が6連覇中であり、無敵
であった。北の富士は勝ち進み、大鵬をおさ
えて初優勝を成し遂げた。感動的な優勝で
あった。九重(元千代の山)が涙で北の富士
と握手した光景は未だに忘れられない。
この後の北の富士は低迷した。九重は「あの
頃の北の富士はよく遊んだ」と語っていた。
北の富士が再び燃えたのは、清國の新大関
優勝だった。「清國一人に甘い汁をすわせ
ない」北の富士は昭和44年十一月場所で2回
目の優勝を達成した。初優勝から16場所後の
ことであった。
北の富士
<北の富士>

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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