大相撲

【7月20日】本名幕内力士

2019年7月16日

現代の幕内は、本名力士花盛りである。大関
高安、遠藤、正代、矢後とすぐにも浮かんで
くる。さらにもう一人明生。実は明生は下の
名前である。矢後はまだ改名の余地があるし、
明生は下の名前っぽくないからいいとしても、
高安、遠藤、正代は改名のチャンスを失って
しまった、といえる。
190122十日目南門 208
<遠藤>

本名と言えば横綱で唯一本名だった力士が
輪島である。輪島自身は「田中とか渡辺とか
よく聞く名前ではないので」と本名を気に
入っていたかのような発言をしていた。もう
ひとつ輪島が唯一な点は学生出身で横綱に
なった点である。輪島が横綱になった昭和
48年五月場所後から46年以上経つが、未だに
出現していない。
輪島
<輪島>

国技館開設の明治42年夏場所以降、本名幕内
力士が始めて登場したのは昭和戦後である。
昭和28年秋場所に入幕した成山である。山が
つくので四股名っぽいが本名である。本名
力士はけっこういる。

八染
やそめと読む。
及川
長谷川
優勝1回の強豪関脇の佐渡ヶ嶽部屋の力士で
ある。今なら頭に琴の字をつけられ、本名を
四股名にできなかったと思われる。

朝岡
輪島
牧本
丸山
相撲協会が認定している3代目横綱と同名で
ある。これは陣幕説を鵜呑みにしているだけ
で、丸山が横綱であったという確証はない。
丸山
<丸山>

小沼
蔵間
板井
蜂矢
斉須
斉須の最終四股名は寶國だが、幕内12場所は
斉須であった。寶國は十両に落ちたときの
四股名である。

平成にはいっても本名を四股名とした力士は
いる。このあたりは、なじみの名前があるの
では。

出島
優勝して大関に昇進した。出る出る出島と
いわれ、前に出る相撲が出島の相撲だった。

十文字
垣添
片山
里山
境沢
宇良
技の相撲で人気の宇良はケガのため、休場
続きで三段目76枚目まで番付を下げている。
七月場所も休場である。
1705新入幕
<宇良>

発音は本名と同じだが、漢字が異なる例が
以下である。(  )は本名。

明武谷(明歩谷)
今吊り出しはめったに見られないが、明武谷
は起重機と呼ばれ、得意技とした。優勝決定
戦に2度出場した。
明武谷
<明武谷のブロマイド>

宇多川(宇田川)
荒勢(荒瀬)

霜鳳(霜鳥)
しもおおとりと読んだ時期があったが、しも
とりが最終的読みであった。

阿覧(アラン)
ロシアから来た男。元大関の増位山が三保ヶ
関部屋閉鎖にともなって引退した。

最後に本名ではないが母方の苗字を四股名に
したのが、寺尾である。まだ、学生だった
ころ、父からがんとは聞かされないうちに
母が亡くなってしまった。その母への強い
思いがこめられている。

睡眠不足です。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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