五月場所11日目、佐田の海対朝乃山戦で物言
いがついた。相撲は朝乃山が一気に寄って
出たとき、佐田の海の左足かかとが出た。
そのさい朝乃山の左足つま先も土俵から飛び
出し、微妙な勝負となった。
物言いがついて協議にいくぶん時間がかかっ
た。元益荒雄の阿武松審判長が「行司軍配は
朝乃山にあがりましたが、佐田の海のかかと
が先に出ているのではないかと物言いがつき、
協議した結果、朝乃山のかかとが先に出て
おり、朝乃山の勝ちと決定いたしました」と
説明したから意味不明で混乱した。その後
再説明で、かかとが出ていたのは佐田の海と
訂正された。
また、13日目の朝乃山対栃ノ心戦の微妙な
勝負経過はこれまで触れてきた。物言いで
5分以上の長い協議の末、「栃ノ心のかかと
が出ており、西方力士の勝ちと決定いたし
ました」とまたもや阿武松審判長が言い間違
えたのである。勝った朝乃山は東であった。
これにはどういう経緯で結論にいたったのか、
横審からも説明不足でよくわからなかった、
と異例のクレームが出た。
物言いのマイクは昭和33年一月場所からスタ
ートした。当時は勝負検査役といっていた。
十両以上の物言いの協議を超短波マイクで
公開するカタチでスタートした。マイクは
正面検査役がもって各検査役の意見を聞く
わけである。公開協議だけにへんにおとな
しくなる傾向があったという。
昭和40年からは公開をやめ、発表係が設け
られた。発表係は正面検査役から協議内容を
聞いて説明する役目である。担当は技能相撲
の元幡瀬川の楯山と理論派の元笠置山の秀の
山が交代で説明していた。楯山が秀の山に
任せるケースが多く、どちらかというと秀の
山のほうの出番が多かった。なお、元笠置山
の秀の山は大相撲ダイジェストの解説をして
いたので彼の理論的な話を聞いた相撲ファン
は覚えているのでは。
昭和43年三月場所から勝負検査役を審判と
改め、審判長が説明する現在のカタチになっ
た。元栃錦の春日野が説明を訂正するとき
「もとい」と言っていた。大鵬が説明役の
さい、最初に物言いがついたとき、さっと
血の気が引くのがわかった、と語っていた。
もっとも大鵬は家の風呂で練習していたと
いう。
物言いの説明は紋切り型でなく、ポイントや
他の審判の意見などの紹介など、工夫や個性
があってもいいのかもしれない。また、審判
長は話し方が上手な親方にするのも一考で
ある。
五月場所の録画を見ています。
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