大相撲

物言いの説明の変遷

2019年6月6日

五月場所11日目、佐田の海対朝乃山戦で物言
いがついた。相撲は朝乃山が一気に寄って
出たとき、佐田の海の左足かかとが出た。
そのさい朝乃山の左足つま先も土俵から飛び
出し、微妙な勝負となった。
190522十一日目幕内 568
<佐田の海対朝乃山戦>

物言いがついて協議にいくぶん時間がかかっ
た。元益荒雄の阿武松審判長が「行司軍配は
朝乃山にあがりましたが、佐田の海のかかと
が先に出ているのではないかと物言いがつき、
協議した結果、朝乃山のかかとが先に出て
おり、朝乃山の勝ちと決定いたしました」と
説明したから意味不明で混乱した。その後
再説明で、かかとが出ていたのは佐田の海と
訂正された。

また、13日目の朝乃山対栃ノ心戦の微妙な
勝負経過はこれまで触れてきた。物言いで
5分以上の長い協議の末、「栃ノ心のかかと
が出ており、西方力士の勝ちと決定いたし
ました」とまたもや阿武松審判長が言い間違
えたのである。勝った朝乃山は東であった。
これにはどういう経緯で結論にいたったのか、
横審からも説明不足でよくわからなかった、
と異例のクレームが出た。
190512初日十両 1502
<阿武松審判長>

物言いのマイクは昭和33年一月場所からスタ
ートした。当時は勝負検査役といっていた。
十両以上の物言いの協議を超短波マイクで
公開するカタチでスタートした。マイクは
正面検査役がもって各検査役の意見を聞く
わけである。公開協議だけにへんにおとな
しくなる傾向があったという。

昭和40年からは公開をやめ、発表係が設け
られた。発表係は正面検査役から協議内容を
聞いて説明する役目である。担当は技能相撲
の元幡瀬川の楯山と理論派の元笠置山の秀の
山が交代で説明していた。楯山が秀の山に
任せるケースが多く、どちらかというと秀の
山のほうの出番が多かった。なお、元笠置山
の秀の山は大相撲ダイジェストの解説をして
いたので彼の理論的な話を聞いた相撲ファン
は覚えているのでは。
笠置山
<笠置山のブロマイド>

昭和43年三月場所から勝負検査役を審判と
改め、審判長が説明する現在のカタチになっ
た。元栃錦の春日野が説明を訂正するとき
「もとい」と言っていた。大鵬が説明役の
さい、最初に物言いがついたとき、さっと
血の気が引くのがわかった、と語っていた。
もっとも大鵬は家の風呂で練習していたと
いう。

物言いの説明は紋切り型でなく、ポイントや
他の審判の意見などの紹介など、工夫や個性
があってもいいのかもしれない。また、審判
長は話し方が上手な親方にするのも一考で
ある。

五月場所の録画を見ています。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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