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立ち合いの一部にこだわる現代大相撲

大相撲独特の特徴に立ち合いがある。これは
対戦する両力士の阿吽の呼吸で立つことで
成り立っている。行司が立たせるわけでは
ない。競技者に委ねられているのである。
柔道は審判の「はじめ」とともに始まる。
ボクシングはゴングで始まりとラウンドの
終わりを知らせる。陸上競技の競争はスター
ターによってスタートする。大相撲の立ち
合いがいかに他に類を見ないかがわかる。
181125千秋楽幕内 950
<H30年11月勝負がついた後手つき不十分
でやり直しになった栃ノ心対松鳳山>

近年の大相撲の立ち合いの特徴は、手つき
不十分による仕切り直しがある。力士が審判
長に頭を下げる光景はよく目にするように
なった。中には相撲を取り終わった後にやり
直しするケースがあった。観客からすれば
いずれも白けるケースである。立ち合い=手
つきの図式になっている。ずるい考えもでき
る。わざと手をつかないで、相手の手の内を
読むことだってできてしまう。
190323十四日目幕内 870
<H31年3月立ち合いがしっくりいかなかった白鵬と高安>

そもそも手をつくという表現がおかしい。
きちんと腰を割って仕切れば、手は自然と
「おりる」のであって、つきにいくものでは
ない。そして立ち合いは相手の目を見て、
呼吸をあわせなければきれいに立てるもの
ではない。特に両力士が腰を割るときは互い
に合わせるようにしないと合うものではない。
今の仕切りは意味のない仕切り直しを繰り
返し、制限時間後でも動作はあっていない。
そんきょにはいると一方は立ち上がるなど
バラバラである。
本来こういう箇所を是正してこその立ち合い
である。「手をおろす」はその一部に過ぎ
ない。その手も両手を同時につかないとわか
りにくい。片手をついてもう一方をするよう
にすると相手が判断しにくい。立ちしぶっ
たり、かけ引きをしたりするものではない。
立ったら、あごを引き、下から上に上目づか
いに相手の重心をおこすようにあたる。
双葉山
<双葉山のブロマイド>

互いに相手にあわせながらする仕切り直し、
そこから始めなくてはいい立ち合いはでき
ない。双葉山について異口同音に語られる
のは、その立ち合いのりっぱさである。双葉
山といえば相手が立てばいつでも立つ立ち
合いが知られている。双葉山の立ち合いは
記録映画があるからご覧になった方もおら
れるだろう。立ち合いは双葉山に学べ。

寒い1日でした。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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