大相撲

立ち合いの一部にこだわる現代大相撲

2019年4月3日

大相撲独特の特徴に立ち合いがある。これは
対戦する両力士の阿吽の呼吸で立つことで
成り立っている。行司が立たせるわけでは
ない。競技者に委ねられているのである。
柔道は審判の「はじめ」とともに始まる。
ボクシングはゴングで始まりとラウンドの
終わりを知らせる。陸上競技の競争はスター
ターによってスタートする。大相撲の立ち
合いがいかに他に類を見ないかがわかる。
181125千秋楽幕内 950
<H30年11月勝負がついた後手つき不十分
でやり直しになった栃ノ心対松鳳山>

近年の大相撲の立ち合いの特徴は、手つき
不十分による仕切り直しがある。力士が審判
長に頭を下げる光景はよく目にするように
なった。中には相撲を取り終わった後にやり
直しするケースがあった。観客からすれば
いずれも白けるケースである。立ち合い=手
つきの図式になっている。ずるい考えもでき
る。わざと手をつかないで、相手の手の内を
読むことだってできてしまう。
190323十四日目幕内 870
<H31年3月立ち合いがしっくりいかなかった白鵬と高安>

そもそも手をつくという表現がおかしい。
きちんと腰を割って仕切れば、手は自然と
「おりる」のであって、つきにいくものでは
ない。そして立ち合いは相手の目を見て、
呼吸をあわせなければきれいに立てるもの
ではない。特に両力士が腰を割るときは互い
に合わせるようにしないと合うものではない。
今の仕切りは意味のない仕切り直しを繰り
返し、制限時間後でも動作はあっていない。
そんきょにはいると一方は立ち上がるなど
バラバラである。

本来こういう箇所を是正してこその立ち合い
である。「手をおろす」はその一部に過ぎ
ない。その手も両手を同時につかないとわか
りにくい。片手をついてもう一方をするよう
にすると相手が判断しにくい。立ちしぶっ
たり、かけ引きをしたりするものではない。
立ったら、あごを引き、下から上に上目づか
いに相手の重心をおこすようにあたる。
双葉山
<双葉山のブロマイド>

互いに相手にあわせながらする仕切り直し、
そこから始めなくてはいい立ち合いはでき
ない。双葉山について異口同音に語られる
のは、その立ち合いのりっぱさである。双葉
山といえば相手が立てばいつでも立つ立ち
合いが知られている。双葉山の立ち合いは
記録映画があるからご覧になった方もおら
れるだろう。立ち合いは双葉山に学べ。

寒い1日でした。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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