大相撲

大関復帰率

2019年4月2日

三月場所の千秋楽、栃ノ心は貴景勝に敗れて
7勝8敗と負け越した。一月場所の5敗10休
とあわせて連続負け越しで大関降格が決定
した。大関直前3場所37勝8敗というりっぱ
な成績で大関に昇進したが、大関昇進後は
29勝28敗18休とさんざんな結果に終わった。
190324千秋楽幕内 1080
<H31年3月貴景勝に敗れて大関降格となった栃ノ心>

五月場所、栃ノ心は10勝以上すれば規定に
より大関に復帰できる。そもそも大関の降格
規定は昭和2年の東西合併から2場所連続
負け越しの規定ができた。ただし、昭和4年
から7年までは東京場所と地方場所の合計で
番付を編成していた。この時期は別扱いで
あった。その後昭和33年、年6場所制にとも
なって3場所連続負け越しで大関降格に変更
された。

ただ、これでは8勝37敗で大関を維持できる
として、昭和44年七月場所より2場所連続
負け越しで大関降格に変更された。このとき
落ちた場所で10勝以上の成績をあげると大関
に復帰できる規定が盛り込まれた。
06春 181
<栃東>

この規定で復帰できた力士、できなかった
力士は以下である。○復帰、●復帰できず
前の山●
大受●
魁傑(1回目)●
三重ノ海○
魁傑(2回目)●
琴風●
霧島●
小錦●
貴ノ浪(1回目)○
貴ノ浪(2回目)●
武双山○
出島●
雅山●
栃東(1回目)○
栃東(2回目)○
千代大海●
把瑠都●
琴欧洲●
琴奨菊●
照ノ富士●
魁傑は規定によってではなく、再び3場所
好成績をあげ2度目の大関昇進を果たして
いる。三重ノ海は復帰したあと、横綱にまで
昇進した。栃東は2回降格し、2回とも復帰
している。復帰は20例中わずか5例に過ぎ
ない。大関復帰率は25%である。栃ノ心に
とっては狭き門であることは間違いない。
180524十二日目幕内 1413
<H30年5月 白鵬に初勝利した栃ノ心>

五月場所、栃ノ心の強い相撲は蘇るか。熱心
な栃ノ心ファンは見守っている。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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