先の十一月場所、大関高安は千秋楽御嶽海に
敗れ、3敗となって優勝を逃した。高安が
上位で12勝をあげたのは4度目である。逆に
いうと高安は13勝の壁を破れないでいるわけ
である。特に十一月場所3横綱が休場して
いただけに千載一遇のチャンスをモノにでき
なかった分けである。
かつての4大関時代に琴櫻、清國、前の山、
大麒麟の時があった。このなかで素材がよか
ったのが、大麒麟である。だが大麒麟はつい
に12勝の成績を超えることはなかった。それ
も12勝をあげたのは、大関以前であった。
大麒麟はメンタルの弱さがあって、ついに
優勝できなかった。どことなく高安とダブル
面があるのが気になる。
そもそも、最高位が大関の大関在位中の優勝
というのは、意外と少ない。明治42年、両国
国技館開設以来の優勝制度は貴景勝まで490
場所を数えた。もっとも大正14年までは、
時新報社が幕内最高成績者の額を国技館に
掲げる制度であった。490場所中、最高位が
大関の大関在位中の優勝はわずか37場所しか
ないのである。小錦・栃東(子)が3回、
魁皇が4回である。高安はレアケースにも
挑んでいたことになる。
高安が最高位大関かどうかは異論があるかも
しれない。しかし、現在の状況では横綱は
見えてきていないことも現実である。大関は
横綱に次ぐ地位であり、協会の看板であるが、
きわめて厳しい数字が示された。そもそも
大関は3場所に1回は優勝争いをしていた
だきたい。好待遇と三賞対象外は何のためか。
ときには横綱以上の存在価値を示してこそ
大関である。
相撲仲間が一月場所に行く日がほぼ
決まりました。
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よしなに
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