10月17日埼玉スーパーアリーナで開催予定
だった沢田研二公演がドタキャンされた。
ドタキャンの理由は沢田氏の判断によるもの
だった。9000人と聞いていた客数が、実際は
7000人だったという。スカスカの客席でやる
のは酷。やるならいっぱいにしてくれ。無理
なら断ってくれ。という趣旨であった。
大相撲は観客が少ないからといって興行を
中止することはない。満員の会場しか知ら
ない大相撲ファンには信じられないことかも
しれないが、大相撲冬の時代、福岡でテレビ
に映る範囲でも客席がスカスカなことがあっ
たほどである。
ただ、歴史が長い大相撲には無観客場所が
あったことがある。お客さんが来ないのでは
なく、最初からお客さんを入れないで興行
したのである。そのいきさつは太平洋戦争で
あった。昭和20年6月、戦争のなかで夏場所
が開催されたのである。空襲がいつくるか
わからないので、観客を集めることは大変
危険であった。事実、ほかのスポーツはすべ
<旧両国国技館>
大相撲はなぜ危険な開催をしたのか。相撲
協会は番付を残し、国技の伝統を守りたかっ
たこと。また、軍部は戦争下でも悠々と相撲
がおこなわれていることを外部にアピール
したかったためであった。
大相撲が無観客で開催されるといっても、
実情は惨憺たるものであった。旧両国国技館
の天井は穴だらけ、会場は焼けた残骸であっ
た。両国周辺の相撲部屋はことごとく焼失
していた。食糧事情の悪さは、力士も例外
ではなかった。照國は41キロやせていた。
ほかの力士も同様であった。
以上の力士が出場。幕下以下は春日野部屋で
5日間取ることになった。優勝は備州山で
あった。幸い空襲はなく、ぶじ無観客場所は
終了した。
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よしなに
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