大相撲

無観客場所

2018年10月28日

10月17日埼玉スーパーアリーナで開催予定
だった沢田研二公演がドタキャンされた。
ドタキャンの理由は沢田氏の判断によるもの
だった。9000人と聞いていた客数が、実際は
7000人だったという。スカスカの客席でやる
のは酷。やるならいっぱいにしてくれ。無理
なら断ってくれ。という趣旨であった。

大相撲は観客が少ないからといって興行を
中止することはない。満員の会場しか知ら
ない大相撲ファンには信じられないことかも
しれないが、大相撲冬の時代、福岡でテレビ
に映る範囲でも客席がスカスカなことがあっ
たほどである。

ただ、歴史が長い大相撲には無観客場所が
あったことがある。お客さんが来ないのでは
なく、最初からお客さんを入れないで興行
したのである。そのいきさつは太平洋戦争で
あった。昭和20年6月、戦争のなかで夏場所
が開催されたのである。空襲がいつくるか
わからないので、観客を集めることは大変
危険であった。事実、ほかのスポーツはすべ
て禁止されていた。

両国

<旧両国国技館>

大相撲はなぜ危険な開催をしたのか。相撲
協会は番付を残し、国技の伝統を守りたかっ
たこと。また、軍部は戦争下でも悠々と相撲
がおこなわれていることを外部にアピール
したかったためであった。

大相撲が無観客で開催されるといっても、
実情は惨憺たるものであった。旧両国国技館
の天井は穴だらけ、会場は焼けた残骸であっ
た。両国周辺の相撲部屋はことごとく焼失
していた。食糧事情の悪さは、力士も例外
ではなかった。照國は41キロやせていた。
ほかの力士も同様であった。
びしゅう
<備州山のブロマイド>

日程は6月7日から短期間の7日間。十両

以上の力士が出場。幕下以下は春日野部屋で
5日間取ることになった。優勝は備州山で
あった。幸い空襲はなく、ぶじ無観客場所は
終了した。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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