現在の名古屋本場所は昭和33年に正式に本場
所に昇格した。これによって年6場所制が
確立した。今年の七月場所は61場所目にあた
る。東西合併を機に昭和2年から始まった
西日本本場所は昭和7年まで続き、この間
名古屋で本場所が3回開催されている。しか
し、実は遡れば大正時代に名古屋本場所が
開催されていたのである。
開催されたのは大正13年春場所である。両国
国技館がありながら、なにゆえ名古屋で本場
所を開催しなければならなかったのか。いき
さつはこうだ。その前年9月1日11時58分
から59分の間に発生した関東大震災である。
揺れとともに火災が猛威をふるい、両国国技
館も大災害をまぬがれなかった。
それでも不孝中の幸いで、外部、付属建物、
館内設備は消失したものの、鉄傘の鉄骨、
コンクリート部分、屋根の半分は焼失をまぬ
がれた。そうはいっても焦土と化した東京で
興行することはとても無理なことであった。
ここにいたってついに相撲協会は名古屋での
本場所を決心した。なお、大正6年11月29日
に国技館は1度焼失している。
1月13日晴天10日間の春場所興行が名古屋
仮設国技館で開催された。この場所を制覇
したのは、横綱栃木山であった。9勝1分で
7回目の優勝(時事新報社が個人最高成績者
の優勝額を国技館に掲げるシステム)であっ
た。なお、8勝2敗で次点だった常ノ花が
場所後横綱に昇進した。
こうして初の名古屋本場所は無事終了した。
次の夏場所は両国国技館に戻って興行して
いる。
ワールドカップが楽しみです。
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よしなに
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