大相撲

さらに知られざる名古屋本場所

2018年6月14日

現在の名古屋本場所は昭和33年に正式に本場
所に昇格した。これによって年6場所制が
確立した。今年の七月場所は61場所目にあた
る。東西合併を機に昭和2年から始まった
西日本本場所は昭和7年まで続き、この間
名古屋で本場所が3回開催されている。しか
し、実は遡れば大正時代に名古屋本場所が
開催されていたのである。
国技館
<両国国技館>

開催されたのは大正13年春場所である。両国
国技館がありながら、なにゆえ名古屋で本場
所を開催しなければならなかったのか。いき
さつはこうだ。その前年9月1日11時58分
から59分の間に発生した関東大震災である。
揺れとともに火災が猛威をふるい、両国国技
館も大災害をまぬがれなかった。

それでも不孝中の幸いで、外部、付属建物、
館内設備は消失したものの、鉄傘の鉄骨、
コンクリート部分、屋根の半分は焼失をまぬ
がれた。そうはいっても焦土と化した東京で
興行することはとても無理なことであった。
ここにいたってついに相撲協会は名古屋での
本場所を決心した。なお、大正6年11月29日
に国技館は1度焼失している。
 栃木山
<栃木山のブロマイド>

1月13日晴天10日間の春場所興行が名古屋
仮設国技館で開催された。この場所を制覇
したのは、横綱栃木山であった。9勝1分で
7回目の優勝(時事新報社が個人最高成績者
の優勝額を国技館に掲げるシステム)であっ
た。なお、8勝2敗で次点だった常ノ花が
場所後横綱に昇進した。

こうして初の名古屋本場所は無事終了した。
次の夏場所は両国国技館に戻って興行して
いる。

ワールドカップが楽しみです。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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