以前(4月)次のように書いた。
九官鳥は意味もわからずに話す鳥である。
力士が本当の理由がわからずに女人禁制を
受けついでいきたいというのであれば、九官
鳥であってはいけない。協会は女人禁制を
貫くならば、その理由をあやふやのままに
せず、この際明確にすべきである。
その後協会は「土俵は神聖な戦いの場、鍛錬
の場」という趣旨を打ち出した。さすがに
女性は不浄とか女性差別を当然ながら否定
した。ただ、伝統という言葉をよく使われる
が、江戸の大相撲以来「土俵は神聖な戦いの
場、鍛錬の場」のみが脈々と伝わって伝統に
なったのか。むしろこれは現代版の解釈では
ないだろうかと思えてくる。現に元力士は、
理由を口にせず、女性は土俵に上がれないと
教えられたと語っている。明治、大正、昭和
戦前は女性に選挙権はなかった時代である。
現代のヒューマニズム(平等・人間性などを
重視し、人間の価値を重視する人道主義)的
思考はなかったのである。
人によっては土俵に上がれないのは、女性
差別でなく区別と言う。区別というのはトイ
レ、更衣室、温泉などをいうのであって、
土俵での表彰・断髪・挨拶はできるか否か
しかない。また、歌舞伎や宝塚をもちだす方
がいる。だが、歌舞伎に女性が出演しても、
宝塚に男性が出演しても受けないであろう。
なにより、役者の道はこの2つに限定されて
いるわけではない。
ここで、相撲協会の視点に立つと次のような
ことが言える。土俵は土の塊である。ただし、
そこに何かが宿ると考えている方にとっては、
特別の存在である。印画紙は紙にすぎない。
しかしだからといって、母の写真を踏んづけ
られるかというとそういうことにはならない。
その背後に何かが臨在しているのである。
女人禁制という大枠ではなく、問題は表彰
したい、断髪したいという女性をどうするか。
それは無用とばかりに排除するのか。ことは
AかBかではなく、別の知恵を出してみよう。
その方法は組み立て式ブリッジを製作し、
ブリッジ自体土俵に直接ふれることのない
ように設置することである。これなら男女
問わず表彰、断髪ができる。
断髪式はこれまで土俵下で女性が断髪する
ことはあった。しかし、土俵下は暗く、客席
の位置によっては見えにくい。組み立て式
ブリッジならその点は払拭できる。相撲協会
にとっていきなり女性解禁は抵抗が大きいと
思う。段階を踏む最初の一歩にしてはいかが
だろうか。
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