大相撲

日馬富士10番勝負1

2017年12月8日

06初 8日目 209安馬土俵入り
<細かった安馬>

日馬富士は突然引退した。小兵ながら技に

生き、自己の限界以上の力を発揮した力士で
あった。日馬富士は立ち合いの鋭さからスピ
ードと集中力で取った力士であった。今こう
いうタイプは稀有である。そんな日馬富士の
熱闘10番をふり返ってみた。なお、この10番
は筆者の独断と偏見で選ばせていただいた。

安馬時代
0709初日幕内 6560709初日幕内 666加工安馬 首投げ 白鵬
<平成19年九月場所初日横綱白鵬戦>

安馬が三役(小結)で初めて2ケタ勝利した
場所である。入幕から18場所目であった。
初日横綱白鵬と対戦。このとき白鵬は横綱
2場所目であった。朝青龍が巡業を休みなが
ら、モンゴルでサッカーをしていたため、
出場停止になった場所であった。この場所
優勝の白鵬に対し、安馬は首投げという思い
もよらない相撲で勝利をおさめた。
080922九日目幕内 941080922九日目幕内 950
<平成20年九月場所9日目朝青龍戦>

安馬は大関へ足固めをした場所といえる。
三役に定着して7場所目にあたる。横綱朝青
龍をくずして、送り出した。この場所朝青龍
は途中休場。優勝は22回達成していた。安馬
は12勝をあげ、次の場所に大関をかけること
になった。
081123千秋楽幕内・表彰 1238081123千秋楽幕内・表彰 1266
<平成20年十一月場所千秋楽優勝決定戦 白鵬戦>

大関をかける安馬は序盤戦で2敗したが、
その後連戦連勝で13勝2敗。横綱白鵬と優勝
決定戦になった。優勝への方程式に長けて
いた白鵬が安馬を押さえ込み、9回目の優勝
を3連覇で飾った。優勝を逃したが、安馬の
大関は確定的になった。安馬は翌場所から
日馬富士に改名した。

大関時代
090524千秋楽幕内 1310090524千秋楽幕内 1334
<平成21年五月場所千秋楽優勝決定戦 白鵬戦>

横綱白鵬、大関日馬富士はともに好調で、
初日から12連勝。13日目両者激突し、白鵬が
勝利した。しかし、千秋楽両者14勝1敗と
優勝決定戦へともつれた。白鵬はここまで
10回優勝していた。しかし、優勝決定戦では、
日馬富士は白鵬に食い下がっての連続投げで、
勝利。日馬富士はついに悲願の初優勝を成し
遂げたのであった。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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