現代の大相撲の勢力図を大きく描くのは、
モンゴルと学生出身であろう。五月場所では
小柳改め豊山が入幕し、矢後、水戸龍が幕下
15枚目格付け出しでデビューした。技能賞を
受賞した嘉風、人気の遠藤・宇良も学生出身
である。ほかに松鳳山、徳勝龍、豪風、正代、
御嶽海、千代大龍、妙義龍、石浦、宝富士、
大翔丸、北勝富士など学生相撲出身者はこれ
ほどの賑わいをみせている。
<宇良>
戦前学生出身者はわずかしかいなかった。
関大を中退した山錦がいるが、厳密な意味で
学生出身者とは言い難い。成功したのは関脇
までいった笠置山ただ一人である。これとて
出羽海部屋から早稲田大学に通ったのだから、
特殊なケースといえる。昭和7年春場所、
幕下付け出しでデビューすると、昭和10年
夏場所には入幕している。理詰めの相撲で
打倒双葉山を目指した。「勘ちゃんは(笠置
山の本名勘治)は理窟で勝とうというけど、
そうはいかないよ」とのち時津風理事長に
なった双葉山は、元笠置山の秀ノ山に微笑ま
しく語っている。
戦後は拓大の吉井山、中大の豊国、農大の
豊山(前名内田)が登場する。特に豊山は
入門から2年という、短期間で大関に駆け
上がった。そのため、学生出身の見方が大き
く変わったほどである。大鵬に対抗するのは
柏戸や佐田の山ではなく、豊山ではないか
という見方まで出たほどである。豊山に初顔
合わせで勝った佐田の山は「学生さんには
負けられませんよ」と言って物議をかもした
ことがあった。
<豊山(前名内田)>
豊山が大関に昇進してから約10年後、輪島が
横綱に昇進した。学生出身で横綱に昇進した
のは今もって輪島だけである。しかも輪島は
14回優勝している。当時、大鵬の32回、現役
の北の湖の20回につぐ記録であった。学生
出身をスカウトする流れは加速していた。
きているのだろうか。小坂秀二氏は「昭和の
横綱」(冬青社刊)でこう記述している。
戦前、各大学相撲部に大相撲からコーチに
いった例は多い。いまほどプロとアマの境界
をうるさく言わなかったのである。前田山
などは三段目時代にコーチに行っている。
それで務まったのである。
当時も、学生相撲で名のあがった者はプロに
なると幕下付け出しの扱いを受けた。しかし
そこでなかなか好成績をあげることはむずか
しかった。
(中略)
戦後はほとんどの学生相撲出身者が成功して
いる。(中略)
こうしたところから「大相撲のレベルが低く
なったのではないか」と言われたのであり、
それも一応無理からぬことと言わねばなら
ない。
しかし、本質的にはそんなことはない。プロ
の世界は学生相撲とは大きな違いがある。例
をあげれば、数々の若年記録を作った大鵬と
北の湖が横綱になった年齢は、大鵬が二十一
歳六ヵ月、北の湖が二十一歳四ヵ月である。
もし学生だったらまだ卒業していない。その
後の貴ノ花にしてもそうだ。
(中略)
これらの例でわかるように、学生相撲の世界
ではこれほど若くして強くなることはありえ
ない。プロの世界なればこそである。
小坂氏は別の著書ではこうも述べている。
学生出身がプロに入ってプロの稽古を積み
重ねるから、強くなる。学生の延長のまま
ではこうはいかない。
重ねるから、強くなる。学生の延長のまま
ではこうはいかない。
輪島はプロの稽古とともに、やはり天才で
あった。
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