大相撲

豊ノ島が最も輝いた場所

2016年2月19日

一月場所では豊ノ島が場所を面白くした。豊ノ島は大関・
横綱戦は琴奨菊戦のみであったが、優勝力士を倒した
ことで殊勲賞を受賞した。12勝と好成績も残した。個人
的には敢闘賞も受賞してもよかったのではと思う。豊ノ
島という力士、ときどき思いもよらぬ活躍をすることがあ
る。豊ノ島が幕内で最も活躍した場所がある。それは平
成22年の十一月場所である。
160122十三日目幕内 718
<豊ノ島、全勝の琴奨菊を倒す>
 
この場所、横綱白鵬は62連勝を達成して、福岡にのり込
んできた。しかし、2日目前頭筆頭の稀勢の里の攻めに
土俵を割って63連勝でストップした。しかし、白鵬は連勝
が止まっても、勝ち続けた。当時は白鵬の一人横綱時代
だった。優勝争いは1敗で白鵬、大関把瑠都、大関魁皇、
前頭9枚目の豊ノ島が並んで終盤にはいった。豊ノ島の
1敗は3日目の旭天鵬戦によるものであった。
把瑠都戦A
<平幕豊ノ島、把瑠都から勝利>
 
12日目、把瑠都と豊ノ島が直接対決。この一番で体力で
優る把瑠都が攻めるが、付き膝気味の負け方をきっした。
決まり手は下手ひねりである。14日目は2敗の魁皇にあ
てられた。なんとこれももろ差しから肩すかしで突破した。
14日目を終わり、優勝は1敗の白鵬と豊ノ島にしぼられた。
魁皇戦A
<豊ノ島、魁皇を撃破>
 
千秋楽、白鵬は大関琴欧洲との対戦だが、琴欧洲は不調
だった。それなら千秋楽は白鵬対豊ノ島戦の直接対決が
妥当である。と当時筆者は主張していたが、ついに実現
しなかった。千秋楽、豊ノ島が稀勢の里に押し込まれた
が、東土俵で逆転の突き落とし。白鵬は琴欧洲を立ち合
いに左上手を取るやすぐさま上手投げ。両者1敗のまま
優勝決定戦へもつれこんだ。
稀勢の里戦A
<豊ノ島、ねばって稀勢の里に逆転勝ち>
 
優勝決定戦、白鵬は巡業で豊ノ島相手に三番稽古をして
いるだけに手の内を知り尽くしているせいか落ち着いて
いた。立ち合い白鵬はふところに豊ノ島をとびこませない。
組めない豊ノ島は白鵬の右を両腕で抱えこむが、白鵬
左上手を取って出すと、豊ノ島は後ろ向きに。勝負はここ
で決まった。送り倒し。平幕豊ノ島優勝は惜しくもなかった
が、14勝1敗の堂々たる成績で、敢闘賞と技能賞を受賞
した。豊ノ島は把瑠都・鶴竜・魁皇・稀勢の里と上位戦を
全勝で乗り切ったのは見事だった。
白鵬戦A
<豊ノ島、優勝決定戦で白鵬に敗れる>

 2月、新たなテーマで書いていきます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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