大相撲

照ノ富士あの日あの時

2015年6月12日

照ノ富士はいまでこそ伊勢ヶ濱部屋に所属して
いるが、入門は間垣(元2代目若乃花)部屋
だった。若三勝の名で幕下まで取っていた。
序ノ口から十両に昇進するまで13場所を要し
スピード出世している。若三勝時代と新十両
時代を振り返ってみた。
t1
一番出世をはたした若三勝 2011年技量審査場所 5日目
 
t2
三段目時代碧の正(左)戦       佐久間山(左 後の常幸龍)との三段目優勝
2011年十一月場所4日目       決定戦 2011年十一月場所千秋楽
 
t3
幕下時代                                    出羽鳳戦2012年一月場所2日目  若三勝のさがりは赤 
t4
若龍勢(右)との仕切り 2012年三月場所4日目                       2012年五月場所2日目                  
t5
南海力(左)戦2013年一月場所    控え中大砂嵐(左)と旭大星が落下2013年三月場所3日目
千秋楽

t6
達(左後の輝)戦2013年三月場所3日目   千代丸(左)戦2013年七月場所5日目

t7
新十両土俵入り  大砂嵐(右)戦 2013年九月場所11日目           十両優勝表彰 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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