遠藤が本名のままの四股名でいくという。部屋の特色で
ある「翔」の字は使われないことになる。幕内にはほかに
高安(高は旧字)という本名の力士がいる。こちらも
改名の雰囲気はなさそうである。さらに元幕内の里山が
十両で活躍している。皆、親から受け継いだ名前を大事に
している方ばかりである。その反面力士らしくないという
見方もある。本名が四股名の力士はどれくらいいたのか。
1909(明治42)年夏場所以降の幕内力士を調べてみた。
明治末・大正・昭和戦前は本名の力士はいない。初めて
登場するのは戦後8年立った1953(昭和28)年秋場所に
入幕した成山(なるやま)である。実は成山含め、現役を
除けば本名の力士は18人いる。半分以上あげられるよう
ならあなたは相撲通である。
除けば本名の力士は18人いる。半分以上あげられるよう
ならあなたは相撲通である。
八染(やそめ)
及川
長谷川
強豪関脇で優勝が1回ある。佐渡ヶ嶽部屋。横綱琴桜の
朝岡
輪島
本名で唯一横綱になった力士。どこにでもある名前で
牧本
丸山
相撲協会が公認している3代目横綱と結果的に同じ四股名
である。
<丸山>
<丸山>
小沼
蔵間
親方廃業後タレントとして活躍したが、若くして病死
した。
板井
蜂矢
斉須
斉須の場合は最終四股名は寶国だが幕内12場所在位の
ときは斉須であった。寶国は十両に陥落してからの四股名
である。最高位前頭2枚目、伊勢ヶ濱部屋(現在の伊勢
ヶ濱部屋とのつながりはない)、
・平成
出島
関脇で優勝して大関に昇進した学生出身力士。
十文字
十文字
垣添
片山
四股を踏むと足が高々と上がる特徴をもった力士だった。
境澤
境澤
※現役3人は最初に記している。
▼本名ではないが発音は同じ力士がいる。( )内は本名
明武谷(明歩谷)
起重機といわれ、吊りを得意技とした。優勝決定戦に
宇多川(宇田川)
荒勢(荒瀬)
霜鳳(霜鳥)
しもおおとりと読んだ時期があったが、最終的にはしも
とりと読んだ。
阿覧(カバライエフ・アラン)
ロシア出身の力士。三保ヶ関部屋の閉鎖とともに引退した。
▼次に本名をもじった四股名を紹介しよう。( )内は本名
・大正
山田川(山田)
・昭和戦後
藤田山(藤田)
大内山(大内)
吉井山(吉井)
福田山(福田)
佐田の山(佐々田)
白田山(白田)
吉の谷(吉谷)
舛田山(舛田)
・平成
大若松 ※若の右の上に点あり(若松)
木村山(木村)
舛田山(舛田)
・平成
大若松 ※若の右の上に点あり(若松)
木村山(木村)
安念山。本名が安念。最終的には2代目羽黒山になったが、
安念山のほうがなじみがあった。安念山で優勝している。
なかなか大関になれない安念山にNHKの解説者の玉の海
さんがこれじゃあ安念山でなく、残念山ですなあと言った。
最後に本名ではないが名前を四股名にしたのが寺尾で
ある。これは母方の名前を名乗ったのだが、いまや弟子の
四股名に用いられている。
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