大相撲

白鵬発言を読み解く

2015年1月27日

千秋楽翌日の白鵬発言が問題を投げている。発言の趣旨は
13日目の対稀勢の里戦に対する不当な取り直しとなった
ことである。相撲は白鵬が出足鋭く出て行ったが、上体が
伸び、西土俵下でもつれるように両者が落ちたことである。
肘は稀勢の里が一瞬早くついたように見える。軍配は
白鵬にあがったが、物言いがついて協議の末取り直しと
なった。「子供が見てもわかるような相撲。なぜ取り直し
にしたのか」と審判を批判した。
150123十三日目幕内 1043
問題はいくつかある。まず第一に順番である。発言と
いうものは一度口にすると引っ込みがつかなくなる。
審判に対して不審に思うならまず、審判部に真意を質す
ことから始めればよかったと思う。いきなり口に出すのは
一方的になる。彼らの言い分を確認した上でそれでも
というなら話せばよい。

第二に審判は神聖で意義を唱えるべきものではないという
考えがスポーツ一般にはある。しかし、それでは審判は
絶対間違わないのかといえばそうではない。大鵬の45連勝
を誤審によってストップしたのは審判ではないか。正しい
軍配をあげた行司が進退伺いを出すなどこのときほど
相撲界の矛盾を感じたことはなかった。この歴史的汚点が
きっかけでビデオを参考に導入するようになった。この
ビデオ導入時に言われいまだ実現していないことがある。
それは土俵に水平な位置でのカメラの設置である。上から
見るビデオではどうしても限界がある。今こそ水平カメラを
設置すべきときである。

自分が正しいと思うことを主張できないとすれば、それは
言論封殺を絶対とする世界である。初代若乃花が吉葉山に
勝っている相撲を負けにされたとき、記者から「100%若関が
勝っていたのでは」ときかれたとき「200%わしが勝って
いたよ」と答えた。
150123十三日目幕内 1044
第三に白鵬の足が返っていたと指摘する点がある。確かに
足の裏以外が土俵についたら負けだが、これは歴史を
遡れば髷をつかむこと以上にあいまいに処理されてきた
問題である。足の裏以外ということは足の厚みも指す
ことになる。横倒しになったとき土俵につく可能性は
大いにある。だが、あいまいのままでいいわけがない。
これを機会に足の裏以外が土俵以外につくと負けである
と徹底すればよい。
150123十三日目幕内 1060
第四に協会の外国人に対する排他的要素がある点である。
かつて外国人横綱はいらないと雑誌に執筆した方がいた。
それは今でこそなくなったが、すべてが解決したわけでは
ない。相撲部屋1人の外国人枠。それだけはない。外国籍
では年寄になれない点がいまだ残っている。白鵬はこうも
言っている「肌の色は関係ないんだよね。みんな同じ
人間です」なのになぜか外国人は日本人とは扱われ方が
違うのか。最たるものが外国人が年寄になれない。それは
外国人を別な人間ととらえる視点からくるものである。

白鵬の発言を問題視するだけではことの本質は見えてこない。 

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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