千秋楽翌日の白鵬発言が問題を投げている。発言の趣旨は
13日目の対稀勢の里戦に対する不当な取り直しとなった
ことである。相撲は白鵬が出足鋭く出て行ったが、上体が
伸び、西土俵下でもつれるように両者が落ちたことである。
肘は稀勢の里が一瞬早くついたように見える。軍配は
白鵬にあがったが、物言いがついて協議の末取り直しと
なった。「子供が見てもわかるような相撲。なぜ取り直し
にしたのか」と審判を批判した。
問題はいくつかある。まず第一に順番である。発言と
いうものは一度口にすると引っ込みがつかなくなる。
審判に対して不審に思うならまず、審判部に真意を質す
ことから始めればよかったと思う。いきなり口に出すのは
一方的になる。彼らの言い分を確認した上でそれでも
というなら話せばよい。
第二に審判は神聖で意義を唱えるべきものではないという
考えがスポーツ一般にはある。しかし、それでは審判は
絶対間違わないのかといえばそうではない。大鵬の45連勝
を誤審によってストップしたのは審判ではないか。正しい
軍配をあげた行司が進退伺いを出すなどこのときほど
相撲界の矛盾を感じたことはなかった。この歴史的汚点が
きっかけでビデオを参考に導入するようになった。この
ビデオ導入時に言われいまだ実現していないことがある。
それは土俵に水平な位置でのカメラの設置である。上から
見るビデオではどうしても限界がある。今こそ水平カメラを
設置すべきときである。
自分が正しいと思うことを主張できないとすれば、それは
言論封殺を絶対とする世界である。初代若乃花が吉葉山に
勝っている相撲を負けにされたとき、記者から「100%若関が
勝っていたのでは」ときかれたとき「200%わしが勝って
いたよ」と答えた。
第三に白鵬の足が返っていたと指摘する点がある。確かに
足の裏以外が土俵についたら負けだが、これは歴史を
遡れば髷をつかむこと以上にあいまいに処理されてきた
問題である。足の裏以外ということは足の厚みも指す
ことになる。横倒しになったとき土俵につく可能性は
大いにある。だが、あいまいのままでいいわけがない。
これを機会に足の裏以外が土俵以外につくと負けである
と徹底すればよい。
かつて外国人横綱はいらないと雑誌に執筆した方がいた。
それは今でこそなくなったが、すべてが解決したわけでは
ない。相撲部屋1人の外国人枠。それだけはない。外国籍
では年寄になれない点がいまだ残っている。白鵬はこうも
言っている「肌の色は関係ないんだよね。みんな同じ
人間です」なのになぜか外国人は日本人とは扱われ方が
違うのか。最たるものが外国人が年寄になれない。それは
外国人を別な人間ととらえる視点からくるものである。
白鵬の発言を問題視するだけではことの本質は見えてこない。