大相撲

四股名あれこれ2

2014年10月10日

2014年6月15日の「四股名あれこれ」で二所系以外で
頭に若のつく幕内力士はという問いかけを残していた
ので、ここでその答を記してみる。対象は幕内力士限定で
ある。

そもそも「若」が目立つようになったのは花籠(元大ノ海)
部屋の力士に若のつく四股名が目立ってきたからである。
七若と呼ばれたのが初代若乃花、若ノ海、若秩父、若三杉
(後大豪に改名)、若ノ国、若駒、若天龍である。七若が
そろったのは1961(昭和36)年九月場所、大鵬・柏戸が
そろって横綱昇進を決めた場所である。
若乃花(青森)2
<初代若乃花>
 
七若以降若は花籠系(花籠、二子山、鳴戸、間垣、藤島、
松ヶ根)の専売特許のようなイメージが強い。続いて
押尾川系(押尾川、阿武松)で使用されている。ほかに
以下の力士があげられる。若荒雄が引退して現役は若の里
一人となった。
若乃洲 花籠 
若獅子 二子山
2代目若乃花 二子山
若嶋津 二子山
3代目若乃花 藤島→二子山
若翔洋 二子山
若の里 鳴戸→田子ノ浦
若ノ城 間垣
若光翔 松ヶ根
若孜 松ヶ根
若兎馬 押尾川
若ノ鵬 間垣
若麒麟 押尾川→尾車
若荒雄 阿武松

ニ所系以外はどうだろうか。初代若乃花の入幕当時の
1950(昭和25)年春場所(1月)は若瀬川と若葉山が
いた。若乃花の入幕1年後に入幕したのが若嵐である。
頭に若のつく力士は出現しつつあった。

部屋ゆかりの四股名に若をつけたのが若前田と若羽黒、
若吉葉である。若羽黒は大関になり、新大関で優勝した。
部屋の四股名として定着したのが若瀬川である。3人
いる。戦後頭に若のつく力士は次の12人である。3代目
若瀬川が引退したのは平成4年七月場所である。それ以来
二所系以外で頭に若のつく力士は出ていない。
2代目若葉山
若嵐
若前田
若羽黒
若杉山
若鳴戸
2代目若浪
若見山
若二瀬
若吉葉
若の富士
3代目若瀬川
若葉山■
<2代目若葉山の絵葉書>
 
大正・昭和戦前を見てみよう。2代目若湊は東富士の師匠に
あたる。若常陸は横綱栃木山、常ノ花の太刀持ち・露払い
を務めた。2代目若瀬川は民間放送、NHKで解説で活躍
した。
2代目若湊 
初代若葉山
若常陸
若太刀
初代若瀬川 
若港→3代目若湊
初代若浪→若乃森
若潮
2代目若瀬川

大正期相撲絵葉書■若葉山
<初代若葉山絵葉書>

明治を見てみる。若島は大阪横綱にいるが、東京相撲は
3人いる。大関になったのは初代若島である。若左倉は
新入幕で横綱大砲を倒した力士である。頭に若のつく
四股名は明治では少数派だったことがわかる。
初代若島
若山
初代若湊
若ノ川
2代目若島
3代目若島
若左倉

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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