大相撲

平幕優勝を検証する3

2014年5月3日

協会優勝制定時代 優勝決定戦制度開始 
平幕優勝力士が横綱・大関戦なしがあたりまえの時期

これまでの優勝は同成績者が複数いた場合、番付上位を
優勝者としていた。しかし、戦後の混乱期、相撲人気
回復のためすべての取組後、同じ成績の力士を番外として
対戦させ、勝者を優勝とする優勝決定戦制度を設けた。
1947(昭和22)年に誕生したこの制度は六月場所さっそく
実施された。羽黒山、前田山、東富士、力道山の4力士が
優勝決定戦を行い、優勝の醍醐味を増す結果となった。

1947(昭和22)年十一月場所以降は系統別総当りが復活
した。ここから部屋別総当り、さらに平幕好成績者が
横綱・大関戦が実施される前までの平幕優勝者を検証
する。この期間は一言でいえば平幕優勝暗黒時代である。
平幕中位以下は横綱・大関戦がまったくないEタイプで
ある。

第2次系統別総当たり

優勝  対戦横綱 対戦大関  未対戦          休場
時津山  なし       なし       横綱東富士 横綱千代ノ山
                            大関栃錦         (全休)
                            大関吉葉山
玉乃海  なし           なし      横綱栃錦  横綱鏡里
                             横綱吉葉山    (全休)
                             大関朝汐  横綱千代の山
                             大関松登       (全休)
若三杉 栃錦(不戦勝)若羽黒     なし
         朝潮
佐田の山  なし   なし            横綱若乃花 横綱朝潮
                                大関柏戸 (途中休場)
                               大関大鵬
                               大関琴ヶ濱(負け越し)
                               大関若羽黒
富士錦   なし      なし           横綱栃ノ海  横綱柏戸
                                大関北場山    (全休)
                                 大関佐田の山横綱大鵬
                                大関栃光  (途中休場)
                                  大関豊山 

7人目は1953(昭和28)年五月場所前頭6枚目で15戦
全勝した時津山である。時津山は関脇・小結との対戦も
なく最高位の対戦者は前頭筆頭の若ノ花である。千秋楽は
5勝9敗の琴ヶ濱と対戦させている。上位は大関吉葉山が
14勝1敗のため、両力士を優勝決定戦で対戦させろという
声まであった。

8人目は1957(昭和32)年十一月場所前頭14枚目の玉乃海
である。黄金のまわしで15戦全勝優勝した。黄金のまわし
の元祖。対戦は関脇時津山、小結若羽黒までである。ほか
の関脇・小結は負け越していたため対戦はなかったと思
われる。同系統をのぞけば出場した横綱・大関は4人いる
が、いっさい対戦はない。上位は横綱栃錦・大関若乃花が
12勝3敗で最高成績であった。

平幕上位で優勝したのが9人目の若三杉である。1960
(昭和35)年五月場所前頭4枚目、14勝1敗で優勝した。
若三杉は平幕上位だから横綱・大関はもちろん、関脇・
小結とも対戦している。同部屋の横綱若乃花は13勝2敗で
優勝をのがしている。もし、若乃花がこの場所優勝して
いたら3連覇、11回の優勝をしたことで栃錦を超えていた。
若三杉の優勝は歴史的には若乃花の記録を阻む役割を
演じた。

10人目は1961(昭和36)年五月場所前頭13枚目、12勝3敗
で優勝した佐田の山である。佐田の山は入幕3場所目で
横綱・大関との対戦経験はまだなかった。このとき上位は
総崩れで11勝4敗の大関大鵬、関脇北葉山が最高成績で
あった。佐田の山は幕内の下から2番目で十両力士清ノ森
と対戦して敗れ、「幕内優勝力士は十両より弱い」と
言われた。

このとき佐田の山の知らぬうちに千秋楽の対戦相手冨士
錦(この当時はワかんむりの冨)に工作が仕掛けられて
いた。翌場所、冨士錦が対戦相手のとき「負けてやれ」と
工作を仕掛けた者に言われて始めてその意味を知り、
相撲をやめたいほどの衝撃を受けた、と中沢潔氏の著書に
書かれている。

11人目は1964(昭和39)年七月場所前頭9枚目、14勝1敗
で優勝した富士錦である。14日目関脇羽黒川、千秋楽関脇
北の富士にあたっただけで、横綱・大関戦はない。大関
豊山は13勝2敗と一歩およばなかった。栃錦の春日野が
理事長になったとき、部屋別優勝を打ち上げたが、序ノ
口の1勝も横綱の1勝も同じ1勝なのかということで
立ち消えになった。幕内中位以下からあげる1勝と上位で
あげる1勝は同じ1勝なのか。平幕優勝の迷走はまだ続く。

1860(昭和40)年部屋別総当り制が実施された。一月
場所初日に横綱大鵬と小結玉乃島(後の横綱玉の海)の
二所ノ関系統同士が組まれ、玉乃島が内掛けで大鵬を倒す
思いがけないスタートとなった。

部屋別総当たり制

優勝 対戦横綱   対戦大関          未対戦     休場
若浪  なし         なし         横綱柏戸  横綱佐田の山
                                  大関玉乃島 (場所中引退)
                                  大関北の富士   横綱大鵬
             
                               大関琴桜      (途中休場)
                                   大関豊山

12人目は若浪である。1965(昭和43)年三月場所、前頭
8枚目で13勝2敗の成績で優勝。若浪は関脇前の山、
小結二子岳に勝って12勝で千秋楽をむかえる。同じく
大関豊山、小結麒麟児も12勝で千秋楽をむかえる。豊山は
今度こそ初優勝か、とファンは色めきたった。しかし、
千秋楽は若浪が前頭筆頭の海乃山に勝ち、麒麟児は前の
山に、豊山は清国に固くなってあっさり敗れ、若浪が優勝
してしまった。若浪は翌場所2勝13敗と大負けをきっ
するが、これが横綱・大関と対戦なして平幕優勝した
力士の翌場所の最低成績である。
<写真は若三杉のブロマイド>
若三杉

 

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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