草野は相撲少年であった。相撲を始めたのはなんと5歳であった。
相撲クラブから相撲人生は始まっていた。大学は日大へ進学した。
4年生では学生横綱になっている。

大相撲の入門は宮城野(元白鵬)部屋の予定であった。だが部屋が
閉鎖され、伊瀬ヶ濱(元旭富士)部屋に身を寄せた。令和6年五月
場所、幕下付け出しでデビューした。6戦全勝で7番相撲を迎えた。
6勝のなかに安青錦戦を含んでいる。7番相撲は藤青雲に敗れ、優
勝を逃した。

幕下は5場所かかった。その後特に目立つ活躍はなかった。幕下時
代大辻に2敗、宮城(現宮乃風)に1勝1敗の対戦成績がある。24
勝11敗で十両入りを決めた。四股名を変えなかったのは宮城野部屋
復興の可能性がまだあったためと推測する。
令和7年三月場所、草野は新十両優勝した。途中まで全勝優勝もあ
るのではという勢いだった。結果は14勝1敗優勝であった。新十両
優勝としては41例目である。令和では栃武蔵、尊富士以来である。
十両優勝制度がいつ始まったかは定かでない。昭和2年、十両力士
の取る番数が力士によってまちまちである。とても十両優勝制度が
あったとは思えない。そのため昭和3年スタートとした。また、新
十両から連続優勝した力士は8例目である。千代ノ山・雅山などが
成し遂げている。

草野は十両で見直された。それにしても十両西筆頭で13勝2敗をあ
げながら東14枚目ではあまりにも不遇過ぎる。それでいて西十両5
枚目12勝3敗若碇が西14枚目である。ずいぶん差をつけられたもの
である。
熊本県出身 伊勢ヶ濱(元照ノ富士)部屋
183センチ 151キロ 右四つ寄り 24歳