2年連続学生横綱を引き下げて相撲界入り
したのが輪島であった。ただ、胸が薄く、
相撲が小さいから大成を疑問視する見方は
あった。
だが、昭和45年一月場所、三月場所、輪島は
幕下付出でデビューすると2場所連続幕下
優勝してしまった。14勝とこれ以上の成績が
ないなかで十両入りしてしまった。当時は
付出に細かい規定はなく、幕下最下位格だっ
た。そんな輪島が横綱までどんな出世街道を
歩んだのか。
十両入りしたが、最初の場所は10勝5敗で
あった。当時、輪島は巨漢が苦手であった。
事実連勝は義ノ花にストップされている。
また、十両2場所目には初めて負け越して
いる。輪島を追って長浜が十両入りした。
長浜が刺激となったのか、輪島は十両3場所
目13勝2敗で優勝している。
だが、十両6枚目でありながら入幕できなか
った。当時は幕内下位で大負けした力士が
一人で、あとは微妙に落ちない成績の傾向が
あった。それどころか東十両筆頭の旭國が
8勝7敗ながら西筆頭に、東十両2枚目増位
山が同じく8勝7敗で西十両2枚目に下げら
れているのだ。十両昇進候補5人に対し、
幕内から落ちるのが一人というアンバランス
が影響した傾向であり、結果であった。
思いがけず、十両にとどまることになった
輪島が入幕できたのは昭和46年一月場所で
あった。新入幕は9勝6敗であった。学生
出身の先人豊山が12勝3敗で敢闘賞を受賞
したのに比べると、寂しいスタートであった。
しかも翌場所は5勝10敗で大負けしている。
入幕3場所目、幕尻に位置した輪島は11勝4敗
で敢闘賞を初受賞した。
ここから上向きとなった。入幕4場所目の七月
場所初の横綱・大関戦となった。横綱には歯が
たたなかったが、大関には2勝2敗の成績を
残した。6勝9敗だったが、何か手ごたえを
つかんだ場所になった。この時横綱玉の海と
対戦した。だが、これが最後の一番になって
しまった。翌場所後玉の海は帰らぬ人となって
しまった。
(この項目続く)
睡眠十分ですが、神経的な疲れはのこります。 。
興味深いテーマをこれからもお届けします。