平成12年三月場所。横綱陣は、曙が12勝、
貴乃花・武蔵丸が11勝、若乃花が場所中引退
した。大関陣は、出島が11勝、千代大海が
8勝、貴ノ浪は7勝と負け越した。優勝は
幕尻の貴闘力であった。3横綱3大関がフル
出場のなか、5人の関脇・小結が全員勝ち
越した。
東関脇武双山12勝3敗(横綱大関戦3勝1敗)
西関脇 雅山11勝4敗(横綱大関戦4勝1敗)
西張関 栃東8勝7敗(横綱大関戦4勝3敗)
東小結土佐ノ海8勝7敗(横綱大関戦3勝3敗)
西小結 魁皇8勝7敗(横綱大関戦2勝4敗)
武双山は5度目、魁皇は4度目の登場である。
武双山は技能賞を受賞し、場所後大関が決定
した。雅山は敢闘賞に輝き、2場所後大関に
昇進した。そのとき武蔵川(元三重ノ海)
部屋は1横綱3大関の一大勢力となった。
平成17年十一月場所、横綱は朝青龍一人。
その朝青龍が15回目の優勝、のみならず平成
17年すべて優勝してしまうほど強さを発揮
した。大関は千代大海が11勝、魁皇が10勝、
栃東が途中休場だった。手薄な横綱・大関の
なか、4人の関脇・小結全員が勝ち越した。
東関脇琴欧州11勝4敗(横綱大関戦2勝1敗)
西関脇琴光喜8勝7敗(横綱大関戦0勝3敗)
東小結旭天鵬8勝7敗(横綱大関戦1勝2敗)
西小結 白鵬9勝6敗(横綱大関戦2勝2敗)
琴欧州が朝青龍に勝って殊勲賞。同時に敢闘
賞も受賞して場所後大関昇進が決定した。
白鵬はこのとき入幕10場所目であった。栃東
戦は不戦勝であった。
平成18年九月場所、一人横綱朝青龍が18回目
の優勝を達成した。連続優勝であった。大関
陣は、千代大海・琴欧州が10勝、栃東が9勝、
白鵬が8勝、魁皇が途中休場であった。白鵬
は大関3場所目であった。そうしたなか、
4人の関脇・小結全員が勝ち越した。
東関脇 雅山9勝6敗(横綱大関戦2勝4敗)
西関脇琴光喜8勝7敗(横綱大関戦4勝1敗)
東小結稀勢の里8勝7敗(横綱大関戦2勝3敗)
西小結 黒海8勝7敗(横綱大関戦3勝3敗)
優勝した朝青龍を倒した稀勢の里が殊勲賞に
輝いた。稀勢の里は入幕12場所目であった。
雅山は元大関である。
令和元年九月場所、横綱・大関は手薄な場所
になった。横綱陣は、鶴竜・白鵬が途中休場。
大関陣は、豪栄道が10勝、栃ノ心が8勝、
高安が全休であった。翌場所栃ノ心は関脇に
降格、高安は2場所後に関脇に降格した。
豪栄道は3場所後、15日間務めたあと引退
した。そんななか、関脇・小結全員が勝ち
越した。
東関脇御嶽海12勝3敗(横綱大関戦2勝0敗)
西関脇貴景勝12勝3敗(横綱大関戦1勝1敗)
東小結 阿炎9勝6敗(横綱大関戦3勝0敗)
西小結 遠藤8勝7敗(横綱大関戦1勝2敗)
優勝は御嶽海と貴景勝の間で優勝決定戦に
なった。貴景勝は大関を2場所で降格した
ばかりであった。御嶽海が一方的に勝って
2回目の優勝を成し遂げた。御嶽海は殊勲賞
も獲得した。貴景勝は大関に復帰した。関脇・
小結全員勝ち越しの合計勝利数は39勝で、
この時点では1位タイであった。
令和2年七月場所、またも横綱・大関が手薄
となった。横綱陣は、白鵬が終盤途中休場、
鶴竜が2日目から休場した。大関陣は、朝乃
山が12勝、貴景勝が8勝したとたん休場した。
優勝は幕内に復帰した照ノ富士であった。
2回目の優勝。そんななか、関脇・小結全員
が勝ち越した。
東関脇 正代11勝4敗(横綱大関戦1勝1敗)
西関脇御嶽海11勝4敗(横綱大関戦2勝1敗)
東小結大栄翔11勝4敗(横綱大関戦3勝1敗)
西小結隠岐の海9勝6敗(横綱大関戦1勝2敗)
殊勲賞は御嶽海・大栄翔に輝いた。正代が
敢闘賞を獲得した。関脇・小結全員勝ち越し
の合計勝利数は42勝で、これが最高勝利数に
なった。
昭和22年秋場所から令和3年一月場所まで
413場所になる。そのうち関脇・小結全員が
勝ち越したのは21場所になる。5%にすぎ
ない。きたる三月場所は連続関脇・小結全員
勝ち越しがなるのか。気になるところである。
(この項目終わり)
大阪の相撲仲間からメールが届きました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。