MENU

平幕優勝の翌場所の成績1

190526千秋楽表彰 188
<五月場所平幕のべ26人目の優勝朝乃山>

令和最初の場所は朝乃山の平幕優勝で終わっ

た。早くも朝乃山の翌場所の成績を気にする
声がある。朝乃山は七月場所で初めて横綱・
大関とフルに対戦する。五月場所で出場した
横綱・大関とフル対戦して関脇以下で勝ち
越した力士は御嶽海、玉鷲、阿炎、竜電の
4人しかいない。片手で数えるほどである。
栃ノ心は豪栄道戦がない。それでは平幕優勝
力士の翌場所はどういう傾向があるのか。
それによって朝乃山の翌場所を予想すること
につながるので調べてみた。
平幕優勝の翌場所1A
協会が優勝制度を導入したのは、大正15年
からである。その2場所目に早くも平幕優勝
が誕生している。大蛇山である。当時は幕内
の横綱・大関の対戦圏外力士が好成績の場合、
上位と対戦する規定はなかった。翌場所大蛇
山は6勝5敗と勝ち越した。東西制のため、
同じ方屋は戦わなかったので、強敵は単純
計算で半分になるという面も幸いしている。
大 蛇 山
<大蛇山のブロマイド>

表を見る限り幕内上位の平幕はともかく、
そうでない平幕は横綱・大関戦がまるでない
優勝が目立つ。優勝制度にともなって、不戦
勝不戦敗制度、取り直し制度を設けた。だが、
出場した横綱・大関全員と対戦した力士に
優勝資格がある、という規定まではいかなか
った。一方は平幕中位下位で星をかせぎ、
もう一方は上位で星をつぶしあうという不合
理をかかえた、ある意味ゆがんだ優勝制度が
まかり通っていたわけである。
3人目の平幕優勝綾櫻は春秋園事件で、協会
を脱退している。そのため翌場所の成績が
ない。綾櫻を除く10人のうち勝ち越しは3人、
五分が1人、負け越しが6人である。勝ち
越し率はたった3割である。それも不合理な
なかの優勝では当然かもしれない。
また、こんな見方もされていた。優勝する
ときに星を借り、翌場所返すので成績が悪く
なるのでは。そういう見方があった時代だっ
た。もちろん真相は不明である。
優勝した場所上位総崩れのたなからぼたもち
優勝に発奮したのか、翌場所の最高成績は
佐田の山の11勝4敗である。当時平幕優勝
力士は大関になれないというジンクスがあっ
た。佐田の山は大関どころか横綱にまでのぼ
りつめてしまった。
佐田  の山
<入幕3場所目の優勝佐田の山>

大敗したのは富士錦の4勝11敗、若浪の2勝
13敗である。若浪の記録は後にタイ記録が
出るが、今も平幕優勝の翌場所の最低記録と
して残っている。
昭和46年七月場所からようやく幕内中位以下
でも、好成績者は横綱・大関と対戦させる
という規定ができた。ところが…
(この項目続く)

星取表を購入。

興味深いテーマをこれからもお届けします。
マーク2カ所をクリックして支援して
ください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑ 

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次