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横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味1

今年の一月場所後、稀勢の里が横綱に昇進
した。横綱の土俵入りは、せり上がるときに
左手を曲げ、右手をのばす型を選び、雲竜型
と紹介された。一方、白鵬、日馬富士が見せ
るせり上がるときに両手を広げる型を不知火
型と呼ばれている。何が問題なのか。まず、
初めに言っておくことは、江戸の横綱雲竜も
不知火(光)もどんな土俵入りをしたかは、
まるでわかっていないことである。ただ、
土俵入りは美しかったという評判が伝わって
いるだけである。
雲龍久吉■國明画
<雲竜の錦絵>

わかっていない土俵入りにどうして横綱の
四股名がついたのか。土俵入り名はどう伝わ
ってきたのか。歴史の流れとともに見ていこ
う。明治2年に撮影された写真がある。右が
鬼面山、左が不知火(光)である。鬼面山が
両手を広げ、不知火(光)が左手を曲げ、
右手を伸ばしている。これこそが不知火の
土俵入りの型ではないだろうか。この写真は
かなり有力な証拠になる。もう少しみてみよ
う。
鬼面山不知火A
<朝日新聞の記事>

明治、大砲、常陸山、2代目梅ヶ谷の横綱の
土俵入りは不知火の型を踏襲したものである、
と新聞で報道された。2代目梅ヶ谷の横綱の
土俵入りについて、木村瀬平が「(2代目)
梅ヶ谷の土俵入りはすべて不知火にのっとっ
たものである」という趣旨のことを話して
いる。
明治44年2月、太刀山が横綱に昇進した。
土俵入りはせり上がるとき、両手を広げる型
を選択した。太刀山は「わしは不器用なので
、庄之助に教わった雲龍の型からとった」と
語っている。この発言を元に各新聞は太刀山
の土俵入りは雲竜型と書いた。ここまでの
流れをみると今、雲竜型といっている横綱の
土俵入りは実は不知火型で、不知火型といっ
ている横綱の土俵入りは雲竜型である。とこ
ろが太刀山談話とは逆に、彼の土俵入りは
「不知火型」と書いた新聞もいくつか出て
きた。この辺に混乱の源があるようだ。
横綱不知火 国貞画
<不知火(光)の錦絵>

実は、雲竜型が不知火型に不知火型が雲竜型
と誤って伝わってしまった元凶は、相撲評論
家の彦山光三氏にあった。
(この項目続く)

久々の航空会社の予約支払にとまどい
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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