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巡業での稽古のあり方

春巡業が始まって、巡業の様子が伝えられて
いる。負傷した稀勢の里は休場している。
負傷に関して新たな情報がはいると、短期間
に直ると考えるのは、楽観的すぎると思えて
くる。また、無理に出場しても、百戦錬磨
及び若手力士は今度間違いなく稀勢の里の
弱点をついてくる。稀勢の里は十分に直して、
戦える体をつくってから土俵復帰を果たして
いただきたいものだが、いかがだろうか。
170326千秋楽幕内・表彰 746
<負傷が痛々しい稀勢の里>
 
今巡業というと大合併で行われるのが当たり
前になっている。これで十分な稽古ができる
のかというと大いに疑問である。今の巡業は
稽古後、出し物や取組まである。巡業で取組
を見たい方はどれほどいるのだろうか。こん
な話を元力士に聞いたことがある。「巡業の
取組でケガして本場所を休むようなことが
あると、本末転倒になります」。つまり、
巡業の取組はケガをしない程度にやるもの
なのである。
古くは、巡業は一門中心で行われていた。
一門の中には当然ながら、看板力士がいない
こともあった。とにかく稽古をやらなければ、
間がもたない状態だった。昭和27年大ノ海は
自らスカウトした若ノ花らを連れて二所ノ関
(元佐賀ノ花)部屋から芝田山(後花籠)
部屋を独立させた。この当時若ノ花はすでに
小結を経験していた。
若乃花
<若乃花>
 
巡業も当時はいまのような大合併でなく、
花籠部屋などは単独で、いわゆる小相撲と
呼ばれる一部屋だけの巡業をやるしかなかっ
たのである。(中略)
この部屋の巡業を見にくるお客さんのお目当
ては、若乃花一人である。だから、若乃花は
土俵からおりるわけにいかない。入れ替わり
立ち替わり向かってくる若い連中を相手に、
若乃花はけいこをつけてやる。(中略)若乃
花のけいこは百番をくだることはない。最近
の横綱、大関が二十番もけいこすると記事に
なるなどというのとはケタが違う。(栃若
時代 小坂秀二著 光人社刊より)
栃若
<栃若時代 小坂秀二著 光人社刊>
 
昭和34年の専門誌でも数百人の力士が数週間
歩いたって稽古はできっこない。稽古ができ
ない巡業形態をとっている。巡業で稽古が
できないのだから、相撲が面白いわけがない。
稽古もしないで満足な相撲が取れるはずが
ない。という趣旨のことが書かれている。
巡業
<巡業のパンフレット> 
 
大合併でやるのならけいこが十二分にやれる
方法を打ち出す必要がある。北玉が横綱の
ころ、夏巡業を2班に分けたことがあった。
こうした工夫も必要である。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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