玉の海梅吉氏はNHKの解説者だった。また、
新聞・相撲専門誌に執筆もしていた。そんな
玉の海梅吉氏が生きた時代に大相撲に触れ
られたことは、この上ない幸せなことだった。
られたことは、この上ない幸せなことだった。
玉の海梅吉氏にみる土俵の心が、筆者をとら
えて離さないのだ。相撲を見る目は常に玉の
海梅吉氏を通している。そんな玉の海梅吉氏
が残した言葉に次のようなものがある。
が残した言葉に次のようなものがある。
毎春場所、最近では百人を超える若者たちが、
大きな夢、希望に燃えて相撲界の門をたたく。
大抵は、テレビなどに映る、カッコいい土俵
姿の力士にあこがれ、職場、就職のつもりで
入ってくる。土俵には、地位も名誉も名声も
……人間の欲望を満たすあらゆるものが
埋まっているという「錯覚」にとらわれている
者が多い。
埋まっているという「錯覚」にとらわれている
者が多い。
(中略)華やいだ土俵入りの出来る関取の座
につける者はその中のほんのわずかだ。ほと
んどの力士は、上位に上がってくることさえ
も出来ない。上位に上がってもなお、力士を
職業、土俵を職場ととらえている人が少なく
ない。私はこのような相撲のとらえ方は誤り
ではないかと思っている。(中略)土俵は単
なる赤土である。地位、名声、金を求める場
ではない。
(中略)私は心身を鍛えた力士たちが、お互
い、己の限界に挑み、その極限を見つめる
厳しい場であって、私の場合、自分の生きる
指標を無言の中に示してくれた、唯一の師匠
であったととらえている。(中略)
厳しい場であって、私の場合、自分の生きる
指標を無言の中に示してくれた、唯一の師匠
であったととらえている。(中略)
「玉の海さんの精神論は分かりますよ。でも
時代が違いますからね」と言う。私は答える。
「時代が違うと言うんだったらさあ、どうだ
ろう、チョンまげも切ってしまったら」話は
ここで物別れに終わる。(これが大相撲だ
潮文社刊より)
玉の海梅吉氏の言葉は続く。
(この項目続く)
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