1964(昭和39)年一月場所入幕
前頭10 北の富士 13勝2敗
北の富士は新入幕前の十両で15戦全勝を達成している。
15日制になって十両で15全勝優勝したのは、栃光、豊山
(前名内田)に続いて当時3人目であった。その勢いは
幕に入っても変わらなかった。連戦連勝、終わってみれば
13勝2敗と15日制になってから新入幕力士の最高成績と
なった。
この場所北の富士旋風が巻き起こり、一躍注目が集まった
かと思ったらそうはいかなかった。入幕2場所目の清国が
前頭14枚目で初日から14連勝していて、同じく14勝の横綱
大鵬と史上初の全勝同士の優勝決定戦かとがぜん注目を
集めていた。
千秋楽清国は関脇大豪(前名若三杉)に当てられ1敗
したため全勝同士の優勝決定戦は実現しなかった。清国は
ほかに小結海乃山と対戦しているが、北の富士はすべて
平幕相手だった。新入幕の大鵬のように三役には当てられ
ることはなかった。
相撲ジャーナリストの故杉山桂四郎氏は北の富士を循環
気質と評していた。燃える要素があるときはやる気が
違うのである。出羽海(元出羽ノ花)が娘と佐田の山を
結婚させ、将来出羽海部屋を継ぐ路線がしかれた。その
とき時期出羽海候補であった千代の山の九重が北の富士ら
を連れて独立したものの破門された。独立直後、大関
北の富士は14勝1敗で初優勝を成し遂げたのである。
また、新大関清国が優勝したとき「清国一人に甘い汁を
吸わせるか」と燃えて準優勝後連続優勝して横綱に昇進
したのである。反面燃える要素がないと成績がいまいちに
なるというむらっ気は最後までついてまわった。
1967(昭和42)年三月場所入幕
前頭14 陸奥嵐 13勝2敗
大関北の富士が初優勝を飾った場所、東北の暴れん坊
陸奥嵐は入幕してきた。出足は1勝2敗だったが、その後
12連勝して新入幕最高成績タイの13勝2敗をあげ、敢闘賞を
受賞した。ただし、三役との対戦はない。
強引な吊りを仕掛けるかと思うと吊り落としにいくなど
ラフな取り口が多かった。あごを引けば大関だよと言われ
ながらも相撲っぷりは最後まで変わらなかった。
1968(昭和43)年一月場所には横綱大鵬から切り返しで
金星を奪っている。最高位は関脇。幕内を約8年半務めて
引側退後は安治川を襲名した。