総括
今まで新聞社制定時代3人、協会制定25人の平幕優勝を
検証してきた結果をまとめてみよう。
A 幕内上位で横綱・大関と当然のようにあたる地位での
優勝 11人
年場所 四股名 横綱大関戦 成績 翌場所の成績
東西制
T11年1月 鶴ヶ濱 2勝 9勝1敗 前頭筆頭4勝6敗
S5年5月 山錦 3勝 11勝 前頭5 5勝6敗
S6年10月 綾櫻 1勝1敗 10勝1敗 協会を脱退
S20年6月 備州山 2勝 7勝 関脇5勝5敗
系統別
S35年5月 若三杉 2勝1敗 14勝1敗 関脇7勝8敗
部屋別平幕好成績上位戦あり
年場所 四股名 横綱大関戦 成績 翌場所の成績
S47年7月 高見山 大 1勝1敗 13勝2敗 関脇5勝10敗
S50年7月 金剛 3勝 13勝2敗 関脇6勝9敗
S51年9月 魁傑 3勝1敗 14勝1敗 関脇11勝4敗
H4年1月 貴花田 2勝 14勝1敗 関脇5勝10敗
H4年7月 水戸泉 1勝 13勝2敗 関脇8勝7敗
13年9月 琴光喜 3勝1敗 13勝2敗 関脇9勝6敗
B 幕内中位以下ながら横綱・大関全員とあたっての優勝
3人
年場所 四股名 横綱大関戦 成績 翌場所の成績
東西制
M42年6月 高見山 酉 1勝2分 7勝3分 関脇1勝6敗2分1休
系統別
S8年1月 男女ノ川 3勝 11勝 小結8勝3敗
部屋別 平幕好成績上位戦あり
H3年9月 琴錦1 2勝 13勝2敗 小結12勝3敗
C 幕内中位以下で星をかせぐが取り組み編成の不十分から
全員ではなく半分以上の横綱・大関とあたっての優勝
3人
部屋別平幕好成績上位戦あり
年場所 四股名 横綱大関戦 成績 翌場所の成績
H3年7月 琴富士 3勝対戦無1 14勝1敗 小結4勝11敗
H10年11月 琴錦2 2勝1敗対戦無1 14勝1敗 関脇6勝9敗
H12年3月 貴闘力 0勝2敗対戦無2 13勝2敗 小結2勝13敗
D 同様に半分未満横綱・大関とあたっての優勝 3人
部屋別平幕好成績上位戦あり
年場所 四股名 横綱大関戦 成績 翌場所の成績
S47年1月 栃東 1勝対戦無2 11勝4敗 小結3勝9敗3休
S59年9月 多賀竜 1勝1敗対戦無4 13勝2敗 小結6勝9敗
H24年5月 旭天鵬 1勝対戦無6 12勝3敗 前頭筆頭2勝13敗
E 幕内中位以下で星をかせぐもせいぜい関脇・小結との
対戦で終わるまたは平幕だけで星をかせぎ、横綱・
大関戦がまったくなく、数字だけの単純比較で優勝
するケース 8人
年場所 四股名 成績 翌場所の成績 上位優秀成績
東西制※両国と太刀山は対戦相手休場による「や」がある
T3年5月 両国 勇 9勝 前頭3 7勝2敗1分 太刀山8勝1預
T15年5月 大蛇山 10勝1敗 前頭2 6勝5敗 西ノ海ほか9勝2敗
系統別
S14年1月 出羽湊 13勝 小結5勝10敗 男女ノ川 11勝2敗
S28年5月 時津山 15勝 小結8勝7敗 吉葉山 14勝1敗
S32年11月 玉乃海 15勝 関脇7勝8敗 栃錦若乃花12勝3敗
S36年5月 佐田の山 12勝3敗 前頭2 11勝4敗 大鵬11勝4敗
S39年7月 富士錦 14勝1敗 小結4勝11敗 豊山13勝2敗
部屋別平幕好成績上位戦なし
S43年3月 若浪 13勝2敗 小結2勝13敗 玉乃島ほか2 12勝3敗
これまで筆者は出場した横綱・大関全員と対戦した者に
限って優勝資格がある、と主張してきた。そういう意味で
優勝制度はまだ未完成である。しかし、以下の考え方も
あるので紹介する。
1 平幕優勝に相当する者が出場した横綱・大関と全員
と対戦していない場合は上位の最高成績者と優勝決定戦
を行う。
例
15戦全勝横綱・大関戦0の時津山と14勝1敗の大関吉葉山の
優勝決定戦の勝者が優勝とする。
2.平幕優勝に相当する者が出場した横綱・大関全員と
対戦していない場合、千秋楽すべての取り組み後対戦
していない横綱・大関と勝負させ、その勝敗差で最高の
者を優勝とする。
例
13勝の多賀竜は未対戦の隆の里、千代の富士、北天祐、
琴風と番外戦を行う
2勝2敗なら15勝4敗○11
①多賀竜が2勝した時点で優勝決定
②多賀竜が1勝3敗の場合 14勝5敗○9
③多賀竜が0勝4敗の場合 13勝6敗○7
平幕12勝の小錦は未対戦の北天祐と対戦する。
勝利13勝3敗○10
敗戦12勝4敗○8
番外戦を比較して勝敗差の大きいほうを優勝者とする。
3.平幕好成績者は勝ち越した時点で横綱・大関にあてる。
負けが込めば通常の取り組みに戻す。そのためにも横綱・
大関が多い場合は大関戦を前半から組んでいく。
2案は番外戦が多すぎる場合は実現困難な面がある。
しかし、それは審判部の取組編成がまずいからそうなる
のであって泣き言は言えない。そういう事態を避けるため
にも最大限手腕を発揮するしかない。
平幕優勝は新聞社制定時期を含め、延べ28人のうち横綱・
大関全員と対戦したのは11人、一人も対戦しなかったのは
8人。優勝の権威と価値は同一でないのは確かである。