大相撲

平幕優勝を検証する5

2014年5月5日

協会優勝制定時代 
部屋別総当たり

中途半端な平幕優勝の横綱・大関戦 2

ここからはご覧になった方も多く、へたな説明は無用
かもしれないが、ご存じでない方のためにあえて記したい
と思う。

優勝  対戦横綱 対戦大関  未対戦   休場
琴錦               小錦     なし  横綱北勝海
                     霧島        (全休)
                                 横綱旭富士
                                (途中休場)
貴花田                  小錦   なし  横綱北勝海
                      霧島        (全休)
                                   横綱旭富士
                                    (途中休場)
水戸泉  不在         霧島   なし  大関曙(全休)
琴錦   貴乃花    貴ノ浪  大関武蔵丸 横綱曙(全休)
      若乃花
貴闘力   曙           大関出島
      武蔵丸          大関千代大海
琴光喜  武蔵丸   千代大海   なし  横綱貴乃花
              (途中休場)      (全休)
                武双山       大関魁皇
                雅山(途中休場) (途中休場)
旭天鵬  なし       琴欧洲   横綱白鵬
                       大関日馬富士
                       大関把瑠都
                      大関琴奨菊
                       大関鶴竜

19人目は1991(平成3)年九月場所前頭5枚目、13勝2敗
で優勝した琴錦である。平幕優勝とはいえ、琴錦はすでに
実力者であった。6場所連続三役、三賞6度受賞、F1
相撲と呼ばれる速攻相撲は大関を狙える逸材であった。
千秋楽は立ち合い変幻自在の舞の海であったが、いさい
かまわず一気の出足で勝負をつけた。翌場所も優勝争いを
して連続優勝で大関かと思わせたが、千秋楽に若花田に負け
12勝3敗で惜しくも次点に終わった。

日本中がわいた日、それが前頭2枚目の貴花田(後の貴乃
花)が14勝1敗で初優勝した1992(平成4)年一月場所の
千秋楽である。入門が決まった日から騒がれて5年目に
入った時、新入幕から11場所目のことである。協会が
優勝を制定してから20人目の平幕優勝である。この場所は
同期でライバルの曙が2敗で最後まで追走して、緊迫の
なかで決まった。

なにより伯父で元若乃花の二子山理事長が定年前で賜杯を
渡せる最後の場所であった。感涙のなかで甥貴花田に
賜杯を渡した二子山理事長はこのことを「夢のまた夢」と
表現した。

21人目は13勝2敗で優勝した水戸泉である。1992(平成4)
年七月場所、前頭筆頭で成し遂げた。この場所は横綱が
不在、大関曙が休場、大関小錦は同部屋で対戦せず、大関
霧島だけが横綱・大関陣のなかで唯一の対戦相手だった。
しかも追走する3人が14日目に全員負けて千秋楽を待た
ずに優勝が決定した。大量の塩まきで有名だったが、
優勝の後は目立った活躍はなかった。

22人目は史上初の平幕2度目の優勝を14勝1敗で達成した
琴錦である。初優勝から実に7年以上の年月が過ぎていた
1998(平成10)年十一月場所のことである。この場所
前頭12枚目まで番付を下げていたが、横綱貴乃花との直接
対決を制したのが決め手になった。貴乃花は12勝3敗。
惜しむらくは大関武蔵丸戦がなかったことである。さす
がにこのころは全盛期を過ぎていた。

23人目は2000(平成12)年三月場所13勝2敗で優勝した
貴闘力である。貴闘力は前頭12枚目という幕尻であった。
12日目まで全勝だが、横綱・大関戦はゼロ。13日目、14
日目で横綱曙、横綱武蔵丸に連敗。まるで歯が立たなかっ
た。千秋楽の関脇雅山戦も苦戦が予想された。雅山に押し
込まれて土俵につまった貴闘力はからくも身をかわして
優勝を決めた。横綱戦が組まれたのがあまりに遅く、
そのため2人の大関戦はなく、取組編成の不手際を感
じた。上位は横綱貴乃花、関脇武双山の12勝3敗が最高
成績だった。

24人目は前頭2枚目という上位で13勝2敗で優勝した
琴光喜である。2001(平成13)年九月場所のことである。
上位のため、横綱・大関とは対戦している。琴光喜は
実力者であるが、大関に昇進したのは7年後でかなり
時間がかかった。大関に昇進しながら野球賭博で追放に
なったのは惜しかった。野球賭博(野球賭博に限らず)は
誰がどの程度関与したかがまるでわからないまま処分
だけを発表するのはいかがなものか、と当時感じた

現時点で最後(25人目)の協会制定の平幕優勝者は
前頭7枚目の旭天鵬である。2012(平成24)年五月場所
なのでご覧になった方も多いだろう。史上初の平幕同士
の優勝決定戦となった。12勝3敗同士の栃煌山対旭天鵬
戦は出てくる栃煌山を引きながらかわして旭天鵬が優勝を
決めた。この場所は上位が総崩れで最高成績は11勝4敗
の大関稀勢の里であった。旭天鵬は入幕してから13年が
たつベテラン。横綱・大関戦は6戦中1戦しか実現しな
かったのが難点。まさかの優勝であった。
<写真は貴花田>
貴乃花
 

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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