◆10位 琴櫻が祖父と同じ大関5場所目で初優勝
十一月場所、大関豊昇龍との相星決戦を制しての優勝だけに記憶に
新しい。佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)が師匠より親の顔を見せ喜んだ。ま
た、14勝1敗の優勝は令和3年十一月場所照ノ富士が15戦全勝優勝
して以来のハイレベルであった。混迷の時代が始まる前である。初
の年間最多勝に輝いた年でもあった。
祖父琴桜は初優勝の翌場所6勝5敗4休とふるわなかった。当時横
綱佐田の山は引退し、横綱柏戸はもう優勝することがなかった。た
だ、横綱大鵬は健在で27回優勝していた時代だった。2代目琴櫻は、
頭を押さえつけられる存在はいない。
祖父は32歳、大関在位32場所で横綱に昇進した。連続優勝ではあっ
たが、将来性や過去無気力相撲があり、かなり物議を呼んだ。2代
目琴櫻は盤石の強さ、力量抜群で横綱にあがっていただきたい。現
在27歳である。
S氏が3位にKW氏が5位にあげている。
◆9位 愛知県体育館お別れ
七月場所が定着したのは昭和33年からだった。最初は金山体育館で
昭和40年から愛知県体育館に移った。金山体育館は冷房がなく、氷
柱を館内においた。愛知県帯域間には冷房設備はあったが、場所に
よってはさほど利かないところがあった。場所特有でうちわが配ら
れた。
60年に及ぶ長期使用になった。最初の優勝は大鵬で17回目の優勝だ
った。平成元年には千代の富士対北勝海の同部屋優勝決定戦が行わ
れた。平成19年は新弟子暴行死事件が時津風(元双津竜)部屋の名
古屋稽古場で起きた。
平成22年は野球賭博を受けた異例の場所となった。関わった力士は
1場所出場停止となった。悪質だった琴光喜はクビになった。暴力
団を排除した。テレビの生中継はなく、ハイライトのみだった。協
会挨拶は元三重ノ海の武蔵川理事長ではなく、村山理事長代行がお
こなった。
優勝白鵬の表彰は優勝旗のみであった。白鵬は「この国の横綱とし
て力士の代表として、天皇賜杯をいただけたらなとつくづく思う」
とつらい心情を吐露している。
様々な思いをのせ愛知県体育館は役割を終えた。2025年からはIGア
リーナ(愛知国際アリーナ)の予定である。
S氏が5位に、KW氏が6位に、IK氏・A氏が9位にあげている。