大相撲

大関の優勝回数

大関は横綱に次ぐ地位で協会の看板である。昇進が
決まると使者が部屋に赴き、新大関は口上を述べる
セレモニーがある。最高位大関の優勝はそれほど多
くない。ただし、横綱の大関時代を加えると様相は
違ってくる。そこまで大関の範囲を広げたなかで、
最も優勝回数が多い大関は誰か。

昭和戦前の玉錦は大関で4回優勝している。そのな
かに3連覇がある。それでも横綱に昇進できなかっ
た。こんな例はほかにない。現代なら考えられない
ことである。

<玉錦のブロマイド>

次に大関で4回優勝した力士が琴ノ若の祖父琴櫻で
ある。27歳で初優勝。28歳で2回目の優勝を達成し
ている。それから優勝は間遠になっていた。32歳で
連続優勝して横綱に昇進した。

この記録を更新したのが貴ノ花である。大関で5回
優勝している。なぜそんなことになったのか。優勝
がなかった双羽黒を横綱にした。それだけではない。
横綱でも優勝がないまま相撲界を去っていった。そ
の反動から連続優勝が横綱昇進の絶対的基準になっ
てしまった。貴ノ花はそのあおりを受けた。大関5
回の優勝は10場所間に達成している。

<貴乃花>

3代目若乃花は大関で4回優勝した。若乃花は、横
綱は難しいと思われたが連続優勝した。ただ大関で
の優勝が最後の優勝になってしまった。

武蔵丸は大関優勝3回と11勝4敗の1位が1回ある。
こちらは好成績が続かず、最後に連続優勝した。貴
乃花にとって曙が前門の虎なら武蔵丸は後門の狼で
あった。

魁皇は地道に大関で優勝を重ねていった。大関優勝
は4回。3年半かけて達成した。最高位大関の大関
優勝としては最高数値である。それまで最高位大関
の大関優勝は小錦・栃東の3回であった。

<魁皇>

日富士は体格に恵まれていなかった。それでも大関
で2回優勝していた。大関止まりかな、と思ったが
連続全勝優勝して横綱に昇進した。大関での連続全
勝優勝は双葉山、貴乃花に次ぐ快挙であった。

貴景勝は大関優勝2回+11勝4敗の1位が1回ある。
さらに優勝を積み重ねることはあるのか。それとも
限界か。大関4回以上の優勝は稀である。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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