大相撲

初日前日

9月2日は稽古総見の公開であった。このことはメ
ディアでも報道され、多くの相撲ファンが知ること
になった。

ところが初日前日行われる土俵祭りははっきりしな
かった。むろん土俵祭りそのものはおこなわれるが
公開か非公開かわからなかった。これは直前まで続
いた。ようやく協会のホームページのお知らせによ
って公開でおこなわれることが明示された。ただし、
三役以上の力士の参加はないとのことだった。

<土俵祭り>

いったいどれほどの方が公開土俵祭りを認識してい
たのか。8時半過ぎに国技館に着いた。それほど多
くなかった。なじみの顔もいなかった。結局知り合
いは一人だけだった。

小雨が降ってきた。入場は9時半であった。今回は
正面マス席のみの使用であった。予定は9時半から
55分までだったが、実際は9時56分から始まった。
おごそかにおこなわれた。

優勝額授与式のとき、雨はあがっていた。照ノ富士
は休場のため師匠伊勢ヶ濱が代理出席した。豊昇龍
が連続優勝したら横綱か、という声が聞こえた。大
関2場所での話であるからありえなかった。終了し
たのは11時前だった。

<優勝額授与式後>

次の行事は相撲趣味の会例会であった。だが3時間
以上待った。例会は仕切り制限時間がなかったとき
の行司の所作であった。これは動画でしか確認でき
ない、という話だった。ほかに個人としてこれまで
の相撲関係の出版、執筆、協力などの話であった。
例会は夕方まで続いた。帰宅は18時半を過ぎていた。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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