大相撲

横綱の連続休場2

引き続き横綱の連続休場をみていこう。戦後誕生した
横綱から始まる。

怒涛の寄りの東富士は晩年に不戦敗を含めた23連続
休場がある。東富士は横綱時代、途中休場後再出場
した場所が4場所もある。現代ではとうてい考えられ
ない。いまでこそ~富士は花盛りだが、東富士は幕内
力士では~富士第2号である。なお、幕内第3号は
北の富士である。

<東富士のブロマイド>

千代の山は戦後の相撲界の期待の星であった。しか
し、横綱になって横綱返上問題をおこしている。その
とき25連続休場している。さらに晩年、26連続休場
している。なかなか休場とは離れられず、横綱優勝は
3回で時代を築くまではいかなかった。

<千代の山のブロマイド>

吉葉山は新横綱全休、翌場所1不戦敗14休といきなり
30連続休場となった。しかも1場所フル出場すると
3場所連続途中休場している。吉葉山の運命はこの
とき決まっていたかのようである。ついに横綱優勝は
ゼロ、横綱17場所中11勝以上は3場所であった。結局
弱い横綱で終わった。

<吉葉山のブロマイド>

なお、栃錦は20連続休場。優勝7回目から8回目の
間のことだった。初代若乃花は2場所にまたがる休場
はなかった。昭和35年五月場所を前に引退した。

朝潮は横綱2場所目から3場所連続全休している。
45連続休場で武蔵山の39連続休場をあっさり更新して
いる。朝潮は巨体で大変期待されたわりに、横綱優勝
はわずか1回だった。強い朝潮と弱い潮が同居して
いると言われた。

<朝潮のブロマイド>

柏戸は前褌を取って一気に走る相撲だった。時には
勢い余って土俵下に転落し、よくケガをした。「柏戸
の体は瀬戸物か」と当時の時津風(元双葉山)理事長
は苦言を呈していた。横綱9場所目から11場所目まで
不戦敗を含み40連続休場をしている。あけた昭和38年
九月場所、涙の全勝優勝を達成している。柏戸はその
後再び休場が目立つようになった。昭和38年五月場所
から6場所連続休場している。その中で再び40連続
休場している。

<柏戸>

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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