引き続き横綱の連続休場をみていこう。戦後誕生した
横綱から始まる。
怒涛の寄りの東富士は晩年に不戦敗を含めた23連続
休場がある。東富士は横綱時代、途中休場後再出場
した場所が4場所もある。現代ではとうてい考えられ
ない。いまでこそ~富士は花盛りだが、東富士は幕内
力士では~富士第2号である。なお、幕内第3号は
北の富士である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/東富士関 大型写真・ブロマイド.jpg)
千代の山は戦後の相撲界の期待の星であった。しか
し、横綱になって横綱返上問題をおこしている。その
とき25連続休場している。さらに晩年、26連続休場
している。なかなか休場とは離れられず、横綱優勝は
3回で時代を築くまではいかなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/千代-e1665544484589.jpg)
吉葉山は新横綱全休、翌場所1不戦敗14休といきなり
30連続休場となった。しかも1場所フル出場すると
3場所連続途中休場している。吉葉山の運命はこの
とき決まっていたかのようである。ついに横綱優勝は
ゼロ、横綱17場所中11勝以上は3場所であった。結局
弱い横綱で終わった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/吉葉山.jpg)
なお、栃錦は20連続休場。優勝7回目から8回目の
間のことだった。初代若乃花は2場所にまたがる休場
はなかった。昭和35年五月場所を前に引退した。
朝潮は横綱2場所目から3場所連続全休している。
45連続休場で武蔵山の39連続休場をあっさり更新して
いる。朝潮は巨体で大変期待されたわりに、横綱優勝
はわずか1回だった。強い朝潮と弱い潮が同居して
いると言われた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/朝.jpg)
柏戸は前褌を取って一気に走る相撲だった。時には
勢い余って土俵下に転落し、よくケガをした。「柏戸
の体は瀬戸物か」と当時の時津風(元双葉山)理事長
は苦言を呈していた。横綱9場所目から11場所目まで
不戦敗を含み40連続休場をしている。あけた昭和38年
九月場所、涙の全勝優勝を達成している。柏戸はその
後再び休場が目立つようになった。昭和38年五月場所
から6場所連続休場している。その中で再び40連続
休場している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/柏戸-e1665544555233.jpg)
(この項目続く)