この日全勝の御嶽海が霧馬山に負けて土が
ついた。波乱はそれだけでは済まなかった。
結びの一番でも再びおこった。
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照ノ富士にとって玉鷲戦は先場所のリベンジ
になるはずだった。ところが相撲は、先場所
の再現をみるような展開になった。玉鷲の
突っ張りになすすべなく後退して東土俵を
あっさりわった。こんなにもろい負け方を
するとはいささか驚いた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/照対玉A-e1647516483645.jpg)
照ノ富士は突っ張り、あるいは突き押しの
対戦相手と離れて戦う傾向がある。2日目の
大栄翔戦も、さらにさかのぼれば先場所の
阿炎戦も同様だった。そうして後退させられ
て敗退していった。
今までこうした相手には自分から踏み込んで、
簡単に後退はしなかった。踏み込むことに
よって相手の攻撃が後手にまわった。それが
できなくなったということは、照ノ富士は
弱くなっているのだろうか。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/照対阿炎A-e1647516505555.jpg)
ある程度イエスと言わざるを得ない、30歳
だから成長途上とはいえない。とはいえこれ
まで他の力士とは実力差があった。それが
通用しなくなってきているのが照ノ富士の
現状である。
照ノ富士の衰退は何を意味するのか。それは
乱戦・混戦場所の突入ではないだろうか。
昭和47年一月場所から4場所は誰が優勝する
かわからなかった歴史がある。
3勝2敗から照ノ富士が優勝したことはない。
しかし、最後まで相撲を捨てることなく務め
ていただきたい。それが横綱の責任である。