大相撲

■22春5日目 照ノ富士衰退が意味するモノ

この日全勝の御嶽海が霧馬山に負けて土が
ついた。波乱はそれだけでは済まなかった。
結びの一番でも再びおこった。

<霧馬山に敗れた御嶽海>

照ノ富士にとって玉鷲戦は先場所のリベンジ
になるはずだった。ところが相撲は、先場所
の再現をみるような展開になった。玉鷲の
突っ張りになすすべなく後退して東土俵を
あっさりわった。こんなにもろい負け方を
するとはいささか驚いた。

<再び玉鷲に敗れた照ノ富士>

照ノ富士は突っ張り、あるいは突き押しの
対戦相手と離れて戦う傾向がある。2日目の
大栄翔戦も、さらにさかのぼれば先場所の
阿炎戦も同様だった。そうして後退させられ
て敗退していった。

今までこうした相手には自分から踏み込んで、
簡単に後退はしなかった。踏み込むことに
よって相手の攻撃が後手にまわった。それが
できなくなったということは、照ノ富士は
弱くなっているのだろうか。

<先場所、阿炎の突きに土俵をわった照ノ富士>

ある程度イエスと言わざるを得ない、30歳
だから成長途上とはいえない。とはいえこれ
まで他の力士とは実力差があった。それが
通用しなくなってきているのが照ノ富士の
現状である。

照ノ富士の衰退は何を意味するのか。それは
乱戦・混戦場所の突入ではないだろうか。
昭和47年一月場所から4場所は誰が優勝する
かわからなかった歴史がある。

3勝2敗から照ノ富士が優勝したことはない。
しかし、最後まで相撲を捨てることなく務め
ていただきたい。それが横綱の責任である。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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