昭和46年十一月場所、輪島は再び横綱・大関
と対戦した。横綱は北の冨士一人。横綱戦の
勝利はなかったが、大関には不戦勝を含め、
3勝1敗と奮戦した。この場所11勝4敗で
敢闘賞を受賞した。黒姫山、富士桜、輪島、
三重ノ海の4人が大活躍した場所となった。
4力士は遜色なく、三賞は初の4人受賞と
なった。
昭和47年は波乱の場所となった。一人横綱
北の冨士が大乱調。4人の大関、琴櫻・清国・
前の山・大麒麟はあてにならない存在だった。
誰が優勝するかわからない状態だった。
そんな中で五月場所、関脇輪島が初優勝した。
まだ優勝する実力はなかったなかでの優勝
だった。翌場所は8勝7敗だった。まだ安定
した力はなかった。
九月場所は貴ノ花の大関取りの場所となった。
その中で輪島は復活した北の冨士と優勝を
争った。北の冨士は9回目の優勝で再起した。
輪島は千秋楽貴ノ花と対戦した。水が入る
熱戦となったものの、勝利して13勝をあげた。
この一番がものをいって輪島と貴ノ花は大関
に昇進した。
昇進した時点では貴ノ花と輪島は同格と見ら
れていた。しかし、大関後は両力士の間に
しだいに差がついていった。新大関の場所は
輪島11勝、貴ノ花9勝と明暗を分けた。十一
月場所は大関琴櫻が3回目の優勝となった。
この時点では琴櫻の横綱を予見する者はいな
かった。
ところが、昭和48年一月場所琴櫻が連続優勝
の可能性がでてきた。輪島に琴櫻ストップの
役目が期待された。11日目、琴櫻全勝、輪島
1敗で対戦した。輪島は呼吸をわずかにズラ
してうまいというよりずるく立った。だが、
琴櫻は委細構わず左ではさみつけ、右のど輪
で圧倒してしまった。
32歳で将来性がなく、かつては無気力相撲で
注意を受けたのが琴櫻であった。琴櫻が横綱
になっても困るし、一人横綱であったため
ならなくても困る事態となった。14日目勝っ
て13勝1敗になった琴櫻に対し、元栃錦の
春日野は横綱昇進に関して「明日の一番次第
ですね」と答えている。琴櫻は千秋楽北の
冨士に勝って横綱に昇進した。
だが、若くて横綱生命が長い力士となると
輪島に期待がかかった。三月場所、輪島は
13勝2敗で次点となった。その相撲内容、
安定度から横綱は時間の問題と思われた。
三月場所後中国場所が実現した。
迎えた五月場所、輪島の独走となった。
15戦全勝優勝で横綱昇進を決定的にした。
横綱北の冨士9勝6敗、横綱琴櫻10勝5敗
に終わった。中国場所のあとを受けての
本場所だけに出し殻場所と評された。時の
理事長武蔵川(元出羽ノ花)は「出し殻
場所とはどういう意味だね」と大いに憤慨
した。
横綱審議委員の石井光次郎氏は「輪島は
マシーンのような強さ」と語っている。
神風氏は「羽黒山の堅実さ、強さと安藝ノ
海のうまさをあわせたのが、輪島の相撲」
と評している。玉の海氏は「すり足、あご
があがらない、腰を落として攻める。大胆
な中に緻密さがある」と賞賛する。大鵬は
「攻撃から防御、防御から攻撃と相撲に
リズムがある。輪島の強さの一番のポイン
トは腰の中心点に寸分のくるいもないと
いうことだ。投げを打つときの体の開きは
天才的」と絶賛である。
輪島が最も強かったのは横綱2場所目から
3場所目だと筆者は思っている。輪島は
まさに天才であった。
(この項目終わり)
冬季五輪で一番見たのはカーリングです。 。
興味深いテーマをこれからもお届けします。